終わった!そして始まった

南川聡子

第25回IJETが無事に終わった。第10回新人翻訳コンテストで夢のような1位を受賞し、IJET初の東京開催に参加できるというまたもない幸運を授かって、ただただ圧倒され続けた怒涛のような2日間が終わったのだった。

子供に本の読み聞かせをするうちに絵本や児童書の翻訳をしたいという想いがつのり、2012年秋から翻訳の勉強を始めた。昨年の1年間は修行のつもりでありとあらゆる翻訳コンテストに挑戦したものの、ひっかかることすらなく、ほとほと落ち込んでいたところに舞い込んできたのがJATの新人コンテストだった。自信は全くなかったが、これも修行と自分に言い聞かせた。おかしなもので、多少なりとも自信のあった他のコンテストは軒並み落ち、全く自信のなかったJATのコンテストで一位を頂いたのだから、自分の自信のなんとアテにならないことか。そして、何を隠そう生まれた順番以外で一番をもらったことが一度もなく、今思えば「受賞ハイ」のような状態だったのだろう、頭の中はずっと真っ白だった。しかも「初日の授賞式の際、何か一言お願いします」という依頼を受けてからは、ディズニーランドのスペースマウンテン級ジェットコースターライドが私の中で始まってしまった。人前で話すのが心底苦手な私は、考えるだけで心臓がドキドキし、こんな一世一代の大舞台?を一体どうやって乗り越えようか?頭の中はそれだけになった。成功する自分を想像すれば、その前に飛行機が飛ばず行けない悪夢となり、ステージに颯爽と上がる自分を想像すれば、思いっきりコケている自分がいた。IJETの前日、バンクーバーから到着した時は、緊張がとうとうピークに達していて、時差ボケなど取るに足らない問題だった。それでも、実際の授賞式は、母と娘がそばにいてくれたことと、完璧な静寂の中でのスピーチではなかったのが幸いし、意外なほどすんなりと終わってくれた。心地よい充足感に満たされた幸せな夜だった。

初めて訪れた東京ビッグサイトは建築学的な観点から眺める気持ちの余裕など全くなく、メタリックなフォルムは異様な威圧感を放ち、巨大な宇宙船の中に自分を含めたいくつもの個体が無言で吸いこまれていくSF映画のようだった。2日間のワークショップは、時差ぼけの頭でなくても消化不良を起こしそうに内容が濃く、しかも体が二つ、三つ欲しいほど参加したいセッションが同じ時間帯にいくつも並び、どれもギリギリまで迷った。600名近い参加者の数にも圧倒され続け、せっかく作ってきた名刺も気付いたらただ茫然と握りしめているだけ、という情けない瞬間が多々あった。それでも2日目は授賞式の緊張から解放されていたためか、最後の最後に私は自分でも信じられないほど大胆なことをした。2日目最後のワークショップで「あとお一人、どなたかご質問ありませんか?」という声に背中を押され「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」とばかりに、なんと井口耕二先生に質問してしまったのだ。「仕事をもらえないと『経験』は積めないが『経験』がないと仕事がもらえないという“キャッチ22”のような駆け出し翻訳者のジレンマを突破するためのアドバイスはありますか?」と。自分でも信じられなかった。井口先生はとても親身にアドバイスを下さり、「私も新人時代、同じことを思いましたよ」とまで仰ってくださったのだった。実は先生のご経歴を拝見する限り、そんなジレンマとはほとんど無縁の素晴らしいスタートを切ってらっしゃるけれど、そこは先生の優しさだったのだろうと思う。さすがに名刺を交換するまでの度胸はなく、改めてお礼をして退室したのだが、その時このセッションは録画されていたことを思い出した。ああ「聞かぬは一生の恥」が「聞いたが一生の恥」になっていた…なんとか気を取り直し、総会、閉会式と出席して夜7時を過ぎた頃ようやくビッグサイトを後にした。謎の宇宙船から不思議な時空をワープして無事帰還したその時、とてつもない現実と対峙している自分がいた。緊張と不安の授賞式は確かに終わった。圧倒されっぱなしだったIJETもまた終わった。だが、この瞬間、私の翻訳者としての長くて厳しいであろう新しい人生が始まっていたのだった。夢の絵本・児童文学翻訳までその道のりは長い。何千キロの長旅のその最初の一歩を今、踏み出したにすぎない。それでも踏み出さなければ始まらない。“A journey of a thousand miles begins with a single step.”

海との境がつながった濃い藍色の梅雨空を見上げ、私は一つ大きな深呼吸をした。そしてまたゆっくりと歩き出した。