石原ゆかり

応募者のみなさま、スクリーナーおよび審査員、コンテスト実施に携わった方々、お疲れ様でした。ファイナリストの方々の力作、しっかりと拝見させていただきました。2020 年はコロナ禍やBLM (ブラック・ライブズ・マター) 運動、東京オリンピックの延期など、激動の 1 年でした。苦労されたり、辛い思いや不安を感じたりされた方も多くいらっしゃると思います。そんな中で、今回も多数の方が JAT 新人翻訳コンテストに応募してくださりました。今年は総計で過去最高の応募者数 (英日96人、日英92人) であったと聞いています。本当にありがとうございました。毎年、課題文はそのときの時勢に沿った内容を選ぶようにしています。このコンテストが翻訳力の腕試しはもとより、社会情勢について調べ、考える場も提供していると願っています。

さて、今回の課題文のテーマは正確な情報伝達と理解の重要性でした。コンテストの実施期間中は、コロナ禍が広がる中で誹謗や中傷事件が発生し、また、米国大統領選の真っ只中で、マスコミでもデマや偽のニュースなどが世界中で毎日のように取り上げられていました。課題文に関係する情報や表現に触れる機会がたくさんあったと思います。私も審査を始める前に、いつも以上に英語と日本語の両方の資料を探し、それぞれ言葉を細かく調べ、吟味してから審査に臨みました。いくつか例を挙げます。

まずは「COVID-19」。日本語ではコロナ、コロナウィルス、コロナ・ウィルス、新型コロナウィルス感染症、COVID-19 など、英語では COVID-19、COVID、coronavirus、corona など、さまざまです。この課題文のように公式な文書では政府機関などで使われている「新型コロナウィルス感染症」、ブログなど軽い内容のものであればわざわざ正式名称でなくても日常会話で使われているような省略形「コロナ」が適切かもしれません。それぞれ文脈や読者層を考慮して、原文と同等の日本語文書で使われているものを選びます。また、正式名称は長くなりがちで読みづらくなり、テーマの焦点がぼけやすくなるため、初回は原文に関わらずカッコで省略形を付け、それ以降は省略形を使った方が良いでしょう。ただし、IT 関係では翻訳支援ツール (翻訳メモリ) が多く使われるため、訳文が再利用されることを考慮して、クライアントによってはカッコ書きや省略系の使用の有無は原文に合わせる方が好まれることがあるのでご注意ください (スタイルガイド、翻訳メモリや旧版が提供されればそれらで確認、なければクライアントの HP や関連業界の記事などで確認する)。

次に misinformation と disinformation。「誤情報」、「虚情報」という訳を見かけました。ネット上ではたくさん使われているようですが、どうも英語的な表現に思われ、果たして日本語として定着している言葉かどうか気になりました。「誤情報」は NHK のニュースサイトでも使われていたので良いのかもしれませんが、高校レベルの国語辞典に載っていないので私はお勧めしません。誤報、虚報、偽情報、デマが一般的な表現でしょう。また、misinformation と disinformation の違いも確認してみてください 。参考:
https://www.dictionary.com/e/misinformation-vs-disinformation-get-informed-on-the-difference/

続いて fake news。トランプ元大統領陣営が好んで使ったので 2020 年本当に頻繁に耳にしました。「ネット世代」の若年層では「フェイクニュース」が定着しつつあるかもしれませんが、それ以外の読者層にはまだまだ馴染みがないと思います。嘘ニュース、偽ニュース、デマ、ガセ、ホラ、ウソなどの方が分かりやすいと思いますが、いかかでしょう。また、デマ、ガセ、ホラ、ウソの違いやそれぞれの語源なども調べてみると面白いかもしれません 。
参考: https://dogatch.jp/news/tbs/tbstopics_68738/detail/

infodemic、pandemic、scapegoating、stakeholders、hate、hate speech、resilience、literacy、Verified は、日本語で適切な言葉を充てるか、カタカナ語でそのまま表現するか悩ましいところです。これらに関するものは意外に総務省や警察庁のホームページでもカタカナ語を使っていたので驚きました (参考: https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/top/hoso/kyouzai.html https://www.soumu.go.jp/main_sosiki/joho_tsusin/d_syohi/ihoyugai_05.html )。敢えてカタカナ語を使う理由を考えてみるのも良い勉強になると思います。infodemic は英語でも造語ということもあり、新聞記事 (https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57688620V00C20A4I10000/)、国連の HP (https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a201157.htm ) では「インフォデミック」が 使われているようですね。その他はそれぞれこの文脈および趣旨ではカタカナ語よりも適切な言葉を充てられる可能性を探ってみたいですね。hate speech は「ヘイトスピーチ」で良くても (参考: United Nations Guidance Note on Addressing and Countering COVID-19 related Hate Speech 国連の「ヘイトスピーチに関する戦略と行動計画」(United Nations Strategy and Plan of Action on Hate Speech)、hate を「ヘイト」とするのはいかがなものでしょうか。もし英語をよく知らない人に「ヘイトってどういう意味?」と聞かれたら「憎悪」などと説明するでしょう。だったら、始めから「憎悪」と訳した方が分かりやすいですよね。verified は、国連の日本語ページで「Verified (ベリファイド/検証済み) キャンペーン」 https://www.unic.or.jp/news_press/info/40427/ とされているのを見つけましたので、ここではそれにならうとしますが、verify はよく使われる言葉なので文脈や内容に合わせて適切に訳せるようにしましょう。resilience は、「社会的レジリエンス」というように「レジリエンス」という表現もだんだんと使われてきているようなので、悪くはないのですが、「強靭性」、「跳ね返す力」「回復力」などの言葉で表現した方がより本来の意味が伝わると思います。resilience は東日本大震災の際、被害を受けた人々が暴動などを起こすことなく、怒りや悲しみを秘めながらも、冷静に、力を合わせて立ち直っていこうとする姿を称賛して、英語圏の報道で頻繁に使われていました。これを「レジリエンス」と訳すと、今一つあの強さが伝わってこない気がします。pandemic は infodemic と合わせるためにここでは「パンデミック」とするかもしれませんが、「世界的流行」という言葉もあることを踏まえてください。ちなみに outbreak はこの文脈では「集団発生」という言葉が一般的でしょう。pandemic と outbreak、epidemic の違いなども調べてみてください。

昨今、カタカナ語以外で気になっている表現は「拡散」です。でも、これはインターネット上では情報を広めるという意味でどんどん一般的になってきていて仕方がないなぁ、と諦めています。ちなみに「拡散する」か「拡散させる」のどちらが正しいのかについて、参考になる記事を見つけました。  https://mainichi-kotoba.jp/blog-20180630 

毎回のように述べていますが、翻訳とは英和辞典に載っている訳を充てるだけでなく、文脈や筆者の意図を反映させた適切に表現することです。そのためには、訳す文章と同じテーマの文章をいろいろ読んで、使える表現を拾って自分の「言葉の引き出し」に貯め、そこから適切だと思う表現を使えるようにします。それが「自分の言葉で表現する」ことができるようになる準備となるのです。文末に最初の下調べで見つけたページと、その中で個人的に使えると思った表現をいくつか紹介します。みなさんもここから、お、これは良いな、と思う表現を書き出してみてください。この課題文になくても、今後似たような文章を訳す機会があるかもしれず、そのときに役立てるかもしれませんよ。こうして普段から「言葉の引き出し」に入れる訓練をすることで語彙が広がり、その分野の専門知識も増やすことができるようになるのです。

続いて、いくつか目立った誤訳について触れます。

free: The COVID-19 crisis has demonstrated the crucial need for access to free, reliable, trustworthy~と、It also has confirmed the key role of free, independent~と 2 回出てきます。これを両方とも「自由な」と訳した作品が多かったようです。1 つ目は information にかかり、2 つ目は media にかかります。1 つ目を「自由な情報」とすると意味が成り立たないので、ここは「無償の情報」が正しいでしょう。

draw attention to:「注意を喚起する」とした作品がありましたが、少し意味が違う気がします。https://www.thesaurus.com/browse/draw%20attention%20to  を参考になさってください。

pluralistic media: pluralisticは「多元論的な」という意味なので、「「多元的なメディア」は誤訳だと判断しました。英和辞典で pluralistic を引いて「多元論的な」が出てきたところで止まってしまわず、国語辞典で「多元論的な」の意味を確認し、では「多元論的なメディア」とは何だろう、と、もう一歩突っ込んでみてください。J32 の「複眼的な視点を持つ」が的確に表現していると思います。

achieving adequate support for and compliance by the general public: 実は私自身、「一般大衆の支援と一般大衆によるコンプライアンスの準拠」と理解し、解釈を誤っておりました。両審査員に相談したところ、「by the general publicは挿入句である」というご指摘を受けました (詳細は藤村審査員の講評を参照)。また、他の言語ですが英語ネイティブの翻訳者にも確認し「transparency accountability and trust *are* essential for... (these things support the public in their collective efforts —they help the public comply with the rules) In short, if we have this type of media, it will help people comply with the efforts and reduce the spread.」ということで理解を改めた次第です。このように原文の文法が常に正しいとは限りません。ここで、論理にかなっているかどうかを考えることで原文の言いたいことが見えてくるのです。審査員自ら解釈間違いをするのか、と驚かれるかもしれませんが、常に自分の判断のみに頼らず、人に聞いたりして確認する作業も必要だという例としてここに挙げました。

最後に、上位 3 作品で良いと思った表現と今後の向上点について述べます。

J81 さんの作品は、表現力の高さと正確さに優れていました。「~とは」、「いわば」、「責任のなすりつけや人々の恐怖心をあおるような情報」、「同等の脅威になりかねません」、「悪影響の中でも特に深刻なものです」、「悪因となり」、「パンデミックの二次被害を引き起こし」、「無償」、「対策や態勢の整備」、「対応の段階」、「さらに分かったのは」、「ソーシャルメディアの各媒体の運営企業」 (メディアと媒体は同じだから冗長的ではあるが、プラットフォームという言葉を使わないで表現する努力がみられて好ましい)、「上で講じることを」、「対抗措置を」、「要請します」、「確実に得て」、「新型コロナウイルス感染症についての偽情報に~改めて明言します」、「独立した立場から~備えることができる」、というように日本語力の高さを感じさせる優れた表現が多く見られました。全体的に丁寧に訳されていましたが、細かく見ると原文逸脱 (「高めてしまいかねないからです」 -> 「からです」が逸脱、「信頼性が高く」 <- reliable trustworthy をくっつけて訳している、「明確に絞られた」、「またそれができて初めて」)、誤訳がいくつかあったので (「後押し」、「一般市民からの十分な支援」、「得ながら」、「将来起こりうる」) それをなくすことがこれからの課題でしょう。また、表現力が高いだけに「これは国連事務総長の言葉です」はぎこちなく、惜しかったです。media literacy で、カタカナ語を使わずに訳した努力は称賛に値します。先に述べたとおり、カタカナ語をなるべく使用せず、かつあまり説明調にならないように自然な言葉で訳す訓練はプロの道を目指す上でとても大切です。ただ、矛盾しているように聞こえるかもしれませんが、実務ではクライアントによっては、「キーワード」を使っていないということでクレームがつくこともあることもお伝えしておきます (必ずしも翻訳の知識がある人がチェックを入れるわけではないので)。そのときは自信をなくさず、でも、クライアントの意向であると割り切って変更を受け入れる潔さも必要になってきますが、逆にこちらの説明をありがたいと思ってもらえることもあります。訓練で適切な表現ができる技術を培うことで、自信をもってクライアントからのフィードバックにも対応できるようにしましょう。

J32 さんの作品は、「コロナ禍」、「不安を煽るようなデマ」、「誤報の流布」、「多言語に対応し」、「~をはじめとする」、「によってはっきりしたことは」、「多言語に対応し」、「偏りのない形で」、「今一度明言」、「以前にも増して注意を向けている」、「前提条件となる」、「バイアスのない助言」、「言うところの」、「引き続き尽力していく」、「次なる」、「より強固な態勢を整える」というように、表現力が高いという印象を受けました。今後は、原文にない余分な表現が入っている(「しておく」、「ものである」、「呼びかけたい」、用法の誤り (「取り組みは~拠って立つ」(拠って立つは本人の主張の根拠となるという意味))。誤訳 (「報道倫理の高揚」、「戦略」)、訳抜け (inter alia)、一般になじみが薄い表現 (「担保される」)、ぎこちない (「対処するための」、「また両方に対する理解を深めるための」)、英語的な表現 (「目標達成に貢献することができるだろう」)、唐突 (「以下は国連事務総長の言葉である」) などの点に注意されると、より精度の高い翻訳になると思います。日本語の言葉の意味や文法を細かく吟味して使い分けるトレーニングがお勧めです。

J49 さんの作品の良かった点は、「COVID-19がもたらした様々な悪影響の中では」、「暴力が煽られ~つくり出されている」、「罪のなすりつけ」、「参画」、「裏付けられた」、「「インフォデミック」に打ち勝ち」、「国連事務総長の言葉を借りて言えば」、「 阻止される」、「尽力を続ける」、といった表現です。おおむねきちんと訳されていましたが、言葉の選び方、表現の精度を上げるなどの点がこれからの課題です。たとえば、outbreak のところで「原因となるウイルス」と補足してありますが、outbreak の意味が理解できていれば不要です。また、不自然な日本語表現 (「注意喚起を強めている」、「津波のような誤情報」)、訳抜け (can be、dealing with)、誤訳 (「流言飛語」、「大虐殺」、「有害な原因」、「目的に合った」、「十分に支持を集め」、「公正な助言」)、文法の誤り (「改善してきた」は「 改善されてきた」の誤り)、原文逸脱 (「情報及び~すなわち科学」、の「すなわち」は余分)、呼応が合っていない (「~はっきり示された」は良いが、「危機においては」と呼応していないので惜しい)、論理のぶれ (「すべての関係者及び~を徹底することだけでなく」を先に持ってきたが、原文を読む順序で訳した方が論理的に流れる) をなくすことを目指されるとうんと良くなると思います。

翻訳の勉強では、ただひたすら翻訳するだけではなかなか技術は向上しません。審査員の講評を参考に、他の応募者のみなさんもどうぞファイナリストの作品で良い点、向上すべき点などを探してみてください。そして、そう思う理由についてしっかりと調べて検討してください。その後、自分の訳とも比べてみましょう。他の人の訳を見て多くを学び、自分の肥やしとしていくことが近道だと信じます。

次回もぜひ多くの方に挑戦していただければ幸いです。

参考:
「Pause/ちょっと待って」キャンペーン:シェアする前に考えよう、COVID-19に関するデマの蔓延を防ぐために (UN News記事・日本語訳): https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/39174/

https://www.businessinsider.com/tim-cook-advice-on-difference-between-preparation-readiness-steve-jobs-2019-6

https://www.merriam-webster.com/dictionary/doctor

toxic driver toxic: https://languages.oup.com/word-of-the-year/2018/

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200513/k10012428231000.html (“デマ”を流す、真偽を確かめる、事実無根、デマが出回り始め、うわさに尾ひれが付いて、どんどん拡散して、バッシング)

http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken02_00022.html (インフォデミック、リテラシー、偽情報の大流行、陰謀論、情報が錯綜、フェイクニュース)
 

https://www.keishicho.metro.tokyo.jp/kurashi/cyber/joho/truth.html  (ウソや根拠のない情報を拡散、風説の流布、疑わしい情報、デマ、悪意によるものと善意によるもの)

http://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken05_00030.html  (ヘイトスピーチがもたらすもの、誹謗中傷、社会の分断を生む、見聞きした方に対して悲しみや恐怖,絶望感などを抱かせるもの、~社会全体を脅かす問題であると位置付け、自分と異なる属性を有する人たちを排斥しようとする差別意識、意識が横行、問題の当事者)

新型コロナウイルス感染症に関連して -不当な差別や偏見をなくしましょう-
https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2002/27/news018.html (不当な差別,偏見,いじめ等)

新型コロナウイルスとデマに関するアントニオ・グテーレス国連事務総長ビデオ・メッセージ  https://www.unic.or.jp/news_press/messages_speeches/sg/37129/

情報発信の面で対応に取り組むことを発表
https://www.unic.or.jp/news_press/info/40427/  (デマの蔓延を一緒に食い止め)