ファイナリスト
J11 直子 コンベリー
J55 Shuichi Nakama
J81 三角有沙
2位 J85 鈴木寿枝
1位 J53 廣田 恵
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J11 直子 コンベリー
化石は科学的証拠であり、高額で個人に競売されるべきではない
昨年、「エイペックス」の通称で知られるステゴサウルスの化石がオークションに出品され、4,050万ドル(約60億円)で落札された。つい先月には、ケラトサウルスの幼体化石が3,050万ドル(約45億円)で取引された。化石の販売を支持する人々は、こうした競売は無害であり、むしろ科学のためになっていると主張する。また、化石を芸術品と比較対照し、その美しさや歴史的魅力を賞賛する人々もいる。
しかし、古生物学者としてはっきり明言したい。これらの見方は完全に見当違いである。
化石は美術品でもトロフィーでもない。それは地球の長い歴史を記録した科学的データであり、進化や絶滅、気候変動、そして生態系の起源や消失を理解するために欠かせない資料なのである。
化石の真の価値は、その価格ではなく、私たちに何を教えてくれるかにある。確かに、美しい化石も存在する。同様に絶滅危惧種のシロサイも美しいが、それを最高額で競売に賭けようと主張する人はいない。化石の価値は見た目の美しさではなく、科学的に恒久的なアクセスが保証されているかによって決まる。
科学と個人所有の対立
古生物学者とは、数百万年にわたる生命の営みを研究する地質学的時間の歴史学者である。私たちの分野は、他のあらゆる科学分野と同じ基本原則に基づいた科学である。データは透明性があり、誰もが利用でき、再現可能かつ検証可能であることが求められる。そのため、古生物学において化石標本は公共の施設に収蔵され、永久保存される必要がある。
古生物学の研究が科学として成り立つのは、研究対象となる標本が、いつでもアクセス可能な公共機関に正式登録され、他の研究者が検証し、繰り返し評価や再評価できるよう、恒久的に保存されている場合に限られる。
この点において、1997年に行われた「スー」として知られるティラノサウルス・レックスのオークションは、今日の多くの化石取引とは異なる。「スー」は個人取引ではあったが、公的機関と民間が連携した共同体によって購入された。この共同体には、シカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)、ウォルト・ディズニー社、マクドナルド社、そして個人の寄付者が含まれていた。スーの骨格標本は、認定博物館であるフィールド自然史博物館(FMNH)の公的信託のもとにすぐに置かれ、正式に登録された。
スーは匿名バイヤーの個人コレクションに消えることはなかった。代わりに、科学者と一般市民の双方が利用できる貴重な科学資料となった。これこそが、科学的に重要なすべての化石に対して本来あるべき姿である。
しかし近年では、発掘された最も注目すべき化石の一部が、個人収集家の保管庫に収められてしまっている。ステゴサウルスの「エイペックス」のように、購入者が一時的に標本を博物館に貸し出すことはあっても、そうした化石は、依然として本格的な科学研究の対象から外されたままである。
永続的なアクセスの重要性
主要な科学誌は、これらの化石をもとにした研究を掲載しない。その理由は明白だ。科学には、恒久的なアクセスが不可欠だからである。
古生物学という科学は、透明性、再現性、そしてデータの再検証可能性に支えられている。だが、どれほど見事な化石であっても、個人が所有する標本は、所有者の意向ひとつでいつでも姿を消す可能性がある。そのような不確実性があるかぎり、私たちは研究成果の検証や再分析、あるいは将来の新技術や手法による実物標本の再研究を保証することができない。
これに対して、ティラノサウルス・レックス「スー」のように公的信託のもとで保管されている化石は、約20年間展示され続け、繰り返し研究されてきた。そして、技術が進歩するにつれて、私たちは古代の遺骸に関する新たな科学的問いに取り組み、ひとつひとつの研究を通して遠い過去への理解を深めていく。
専門的基準の重要性
恐竜を題材にした映画やおもちゃを引き合いに出して、まるでポップカルチャーが本物の科学の代わりになるかのように、化石の商業取引を正当化したくなるかもしれない。これは、数字塗り絵のキットがルーブル美術館の名画の代わりになると主張するようなものだ。高額な化石の販売は、完全性や大きさだけが化石の価値を決めるという誤った印象を一般の人々にあたえてしまう。
世界最大の古生物学専門組織である脊椎動物古生物学会は、専門的な研究基準を反映した倫理ガイドラインを策定している。批評家の中には規則が厳しすぎるとし、これを「緩めるべき」と主張するものもいるが、倫理基準を緩めることは、科学的方法の核心を捨て、利便性や利益を優先することを意味する。
人間の化石や文化財を個人収集家に販売することが倫理に反するのと同様に、恐竜やその他の化石脊椎動物についても同じ基準が適用されるべきである。化石は、ありふれたものから壮麗で稀少なものまで、いずれも地球の歴史を示すかけがえのない記録である。
未来への投資
科学は売り物であってはならない。富裕な化石愛好家には、その資金を、より意味のある形で活用することを提案したい。一体の骨格を購入する代わりに、私たちはこうした愛好家に対して、古代の骨に新たな命を吹き込む研究や博物館、学生、科学団体の支援を勧める。
化石一点の価格で、何年にもわたり画期的な発見や教育、展示活動を支援できる。そのような貢献こそ、特に科学への資金援助が減少している今こそ、残すべき価値ある遺産である。
J55 Shuichi Nakama
化石は科学研究の価値ある資料──高額で個人に売り渡すべきではない
昨年、「エイペックス」というニックネー厶のステゴサウルスの化石がオークションで落札された。価格は4050万ドル(約60億円)だった。また、つい先月にはケラトサウルスの幼体化石が3050万ドル(約45億円)で落札された。こうしたオークションを支持する人々は、売買は科学に害を及ぼすものではなく、むしろ有益だと主張する。また、化石を美術品にたとえ、その美しさや歴史的価値を称賛する声もある。
古生物学者として率直に言えば、これらの考え方は完全に的外れだ。
化石は、美術品でも自慢のための収集品でもない。それは、地球の長い歴史を目に見える形で記録した科学的データであり、進化の過程や気候変動の変遷、生態系の起源と消滅を理解するために不可欠な研究資料である。
化石の真の価値は、値札に記された金額ではない。化石が教えてくれることが価値なのである。もちろん、美しさという価値を備えた化石も存在する。絶滅危惧種のシロサイも美しい。しかし、それを理由にシロサイを競売にかけ、最高値で売却すべきだと主張する人はいない。化石の価値は美しさではない。科学的に恒久的に活用できることが価値なのだ。
科学と所有の対立
古生物学者は、太古の時代を研究する歴史家であり、何百万年にもわたる生命の歩みを研究している。その研究活動の分野は、他の科学分野と同じ基本原則に基づいている。すなわちデータは、透明性(出所や処理過程の明確さ)があり、誰でも活用でき、複製可能で、検証可能でなければならない。古生物学においてこの基本原則を守るためには、化石標本は公共機関の恒久的な収蔵品として保管されなければならない。
古生物学研究が科学的であると認められるためには、研究対象標本が公共機関に収蔵され、恒久的に活用できるよう保証されていることが不可欠だ。そうすることで、他の研究者も、化石が保持する科学的データを調査し、継続的に評価・再評価することができる。
それこそが、1997年に行われたスーの愛称で知られるティラノサウルス・レックスの化石標本の競売と、今日行われている化石の競売との違いである。スーの競売はプライベートセール(特定の個人・団体間での直接取引)として行われたが、最終的には官民コンソーシアムが落札した。そのコンソーシアムには、シカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)、ウォルト・ディズニー・カンパニー、マクドナルド・コーポレーション、および民間支援者が参加していた。スーの骨格標本は、認定博物館であるFMNHにおいて公共の利益のために直ちに管理され、正式に登録された。
スーは匿名の個人コレクションに収蔵されることはなかった。その代わり、科学者や一般の人々が活用できる科学的資料となった。すべての科学的に重要な化石は、まさにこうした形で扱われるべきだ。
しかし近年では、発掘された特に貴重な化石の一部が個人コレクターの保管庫に収められるケースが増えている。ステゴサウルスのエイペックスのように、落札者が化石標本を一時的に博物館に貸し出す場合もあるが、そのような化石は本格的な科学的研究の対象にはならない。
永続的アクセス
有力な学術誌が、個人コレクションの化石に基づく研究を発表しない理由は単純だ。科学研究とは、恒久的に活用できることを求めるものだからだ。
古生物学は、透明性(出所や処理過程の明確さ)、分析プロセス・データの再現性に基づいている。個人コレクションの化石は、どれほど注目に値するものであっても、所有者の意向でいつでも活用できなくなる可能性がある。そのような不確実性により、調査結果の検証や分析の再実施はもちろん、実際の化石に対して今後新たな技術や手法の適用ができなくなる。
対照的なのは、公共の管理下にあるティラノサウルスのスーのような化石だ。スーの骨格標本は20年近くにわたり展示されており、その間繰り返し研究されてきた。そして技術の進歩に伴い、私たちは太古の生命の痕跡に関する新たな科学的疑問に取り組み、一つひとつの研究を通じて、遠い過去への理解を深めている。
専門的基準は不可欠
恐竜をテーマにした映画やおもちゃを理由に、化石の商業取引を正当化したくなるかもしれない。それは、ポップカルチャーを実際の科学の代わりとみる姿勢に通じる。そのような考え方は、塗り絵キット(番号通り塗れば完成する)が、ルーブル美術館に収蔵された芸術作品の代わりになると主張するのと同じだ。注目度の高い化石取引は、「完全な形」や「大きさ」こそが化石の価値を決める唯一の要素だという考え方を助長し、その結果、誤った認識を広めてしまう。
世界最大の古生物学の専門家団体である古脊椎動物学会は、専門的な研究基準を反映した倫理ガイドラインを策定した。一部の研究者や関係者は、これらのガイドラインは厳しすぎるとして、制限を少なくすべきだと主張している。しかし、仮に倫理基準を緩めることになれば、利便性と利益を優先し、科学研究の根本的なあり方を損ねることになる。
化石化した人骨や文化財を個人収集家に売ることは倫理的に問題である。同じ倫理的基準を恐竜やその他の脊椎動物の化石にも適用すべきだ。化石は、ありふれたものであれ、目を引く希少なものであれ、地球の歴史のかけがえのない記録なのだ。
科学の未来を支える資金
科学を売り物にすべきではない。私たちは、化石を愛する富裕層が真の変化をもたらす取り組みに資金を投じることを勧めたい。1体の骨格標本を購入する代わりに、太古の骨に新たな命を吹き込む研究機関や博物館、学生、科学団体を支援してほしい。
化石に付けられた、たった一枚の値札の金額があれば、画期的な発見に繋がる活動や、教育・展示活動を何年も支えることができる。特に科学分野の活動資金が減少している今、それこそが未来のために残す価値のある遺産ではないか。
J81 三角有沙
化石は科学的証拠であり、個人収集家に数百万ドルで競売されるべきでない
昨年、愛称「エイペックス」というステゴサウルスが4,050万米ドルで競売されました。若いケラトサウルスが3,050万米ドルで落札されたのもつい先月のことです。支持者達は、これらの取引には何の懸念もないどころか、むしろ科学界にとって有益であると主張します。さらには化石を美術品となぞらえて、その美しさや歴史的魅力を称賛する意見も存在するのです。
古生物学者の立場から、はっきりと述べます。これらの考えは、全くもって見当違いです。
化石は、美術品でも戦利品でもなく、地球の悠久の歴史について具体的な記録を提供する科学的データです。化石は、進化、絶滅、気候変動、そして生態系の盛衰を解明するための重要な手がかりなのです。
その真の価値は、付けられた値札にあるのではなく、教えてくれる事柄にあります。もちろん、美しい化石が存在するのは事実です。絶滅の危機に瀕しているシロサイもまた美しいですが、だからといってサイを高額入札者に向けて競売にかけるべきだと主張する人はいません。化石の価値は、その美によってではなく、永続的な科学的利用性によって定義されるべきです。
科学か所有か
古生物学者とは、数百万年にわたる生命を研究する、深遠な時の歴史家です。古生物学は他のあらゆる科学分野と同じ基本原則のもとに成り立つ科学で、データは透明性があり、利用可能であること、そして再現性および検証性を備えていなくてはなりません。古生物学においてこれを実現するためには、化石標本を永久的に収蔵することができる、公的機関が保管を行う必要があります。
古生物学の研究が科学として成立するのは、永続的なアクセスの保証された公的機関において対象の標本が目録化されていること、それによって他の研究者が化石のデータを検証し、継続的に評価および再評価できる場合に限られるのです。
この点において、1997年に行われたティラノサウルス・レックスの標本「スー」の競売は、今日の化石競売とは異なっています。私的取引ではありましたが、「スー」は、シカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)、ウォルト・ディズニー社、マクドナルド社、そして個人の寄付者からなる官民コンソーシアムによって購入されたのです。「スー」の骨格は、直ちに認定博物館であるFMNHの公的信託下に置かれ、正式に目録化されました。
「スー」は匿名の買い手の私的コレクションの中に消えゆくことはありませんでした。それどころか、科学者と一般に向けて利用可能な科学的資源となったのです。これこそ、科学的な価値のあるすべての化石に求められる姿です。
しかしながら、発掘された極めて重要な化石の一部は、以前に増して個人収集家の金庫へと収められています。ステゴサウルスの「エイペックス」のように、買い手が一時的に博物館へ標本を貸し出すことがあっても、これらの化石は、有意な科学的研究の対象からは外れたままなのです。
永続的な利用可能性
主たる科学雑誌が個人所有の標本に基づいた研究論文を掲載しないのには、明快な理由があります。それは、永続的な利用可能性は科学にとって不可欠であるからです。
古生物学という科学は、透明性、再現性、そしてデータの再現可能性に依拠します。個人が所有する化石は、いかに壮観なものであっても、所有者の一存でいつでも消失する可能性があります。その不確実性が、検証、分析の繰り返し、あるいは新しい技術や手法の適用といった、元の標本に対する将来の研究を保証できなくするのです。
これとは対照的に、T.レックスの「スー」のように、公的信託の下で保管されている化石をみると、その骨格は20年近くにわたって展示され、幾度も研究が重ねられています。そして技術の進化に合わせ、私たちは古代の遺物に関する新たな科学的問いに取り組み、一つ一つの研究を通じて遠い過去への理解をより深めているのです。
専門的基準の重要性
商業的な化石の取引を、恐竜をテーマにした映画や玩具を例に挙げ、あたかもポップカルチャーが真の科学の代替を果たすかのごとく正当化したくなるのかもしれません。それは、ルーブル美術館に所蔵されている芸術作品の代わりとして、数字塗り絵で十分だと主張するに等しいのです。注目度の高い売買は、完全性や大きさだけが化石を重要たらしめる唯一の要因であるという考えを助長し、世間に誤解を与えています。
世界最大の専門的古生物学者組織である脊椎動物古生物学会は、専門的な研究基準を反映した倫理規定を策定しました。反対派の中には、この規定が厳格すぎるとし、規則が「緩和」されるべきと主張する人もいます。しかし、私たちの倫理基準を緩和することは、利便性と利益のために、科学的方法論のまさに核心を放棄することを意味するでしょう。
人類の化石や文化的遺産を個人収集家に売却することは非倫理的です。恐竜や他の脊椎動物の化石にも同じ基準が適用されるべきです。化石は、ありふれたものであれ、壮観で希少なものであれ、私たちの惑星の歴史のかけがえのない記録なのです。
未来への投資
科学は売り物であるべきではありません。私たちは、化石愛好家である億万長者らに対し、革新的変化を生み出すことができる分野へ資産を投じるべきと提言します。骨格を購入するのではなく、古代の骨に日の目をもたらす研究や博物館、学生、そして科学学会を支援することを奨励します。
一つの化石に付く価格だけで、何年もの画期的な発見、教育、展示へ資金を供給することが可能です。科学への資金提供が縮小している時代において、これこそが残す価値のある遺産なのです。
2位 J85 鈴木寿枝
化石は科学的証拠 個人収集家向けの高額商品ではない
2024年、「エイペックス(Apex)」の愛称で知られるステゴサウルスの化石がオークションにかけられ、4,050万ドルで落札された。今年7月には、ケラトサウルスの幼体化石が3,050万ドルで落札されたばかりだ。こうした取引の支持者は、恐竜の化石をオークションにかけても害になることはなく、むしろ科学に利益をもたらすと主張する。それとは別に、化石を美術品扱いし、化石の美しさや歴史的魅力を称賛する声もある。
古生物学者である我々4名の率直な意見として、上記の見解は根底から間違っている。
化石は美術品ではないし、戦利品でもない。化石は太古の地球の歴史を具体的に記録した、科学的証拠だ。生命の進化、絶滅、気候変動、生態系の起源と消滅の解明に、欠かすことのできない手がかりである。
化石から判明するものにこそ化石の真価が詰まっているのであって、オークションでつけられる値段で化石の価値は決まらない。もちろん、美しい化石というのは存在する。それと同様に、絶滅の危機に瀕しているシロサイにも美しい個体は存在するが、だからといって、シロサイをオークションで最高額入札者に売り払うべきだと主張する人はいないだろう。化石の価値を決めるのは美しさではない。永続的に、科学的に利用可能であることが化石の価値を決めるのだ。
科学vs.所有権
古生物学者である私たちは、太古の昔に存在した生命を研究する、深淵なる時間の歴史家だ。古生物学は、その他の科学分野と同じく基本原則に立脚した学問である。データには透明性、アクセス可能性、再現性、検証可能性が欠かせない。古生物学でこうした原則を担保するには、化石標本は恒久的に収蔵可能な公的機関で保管される必要がある。
研究対象の標本が公的機関の目録に載り、永続的なアクセスが保証される場合のみ、古生物研究は科学的根拠を持つ。他の研究者によって化石が保存するデータが調査され、継続的に評価・再評価されうるからだ。
その点で、1997年に行われた「スー(Sue)」の名で知られるティラノサウルス・レックスの骨格標本の販売は、現在行われている化石のオークションとは異なっていた。オークションではなくプライベートセールの形をとり、米国シカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)、ウォルト・ディズニー・カンパニー、マクドナルド・コーポレーション、個人寄付者で構成された官民コンソーシアムに買い取られたからだ。スーの骨格標本は公益信託として認定博物館であるFMNHに直ちに収蔵され、目録にも追加された。
スーは匿名の個人の収蔵品として消え去ることなく、科学者や一般市民がアクセスできる科学的資源となった。科学的重要性を帯びた化石はすべて、スーと同様に公的機関に収蔵されるべきだと我々は考えている。
近年、発掘された学術的に貴重な化石が個人蔵となるケースが増えている。ステゴサウルスのエイペックスは落札者によって一時的に博物館に貸し出されたが、一時的な貸与ではその化石を重要な科学研究の対象として扱うことはできない。
カギは永続的アクセス
主要な科学雑誌は個人蔵の化石を研究対象として認めていない。その理由は極めてシンプルで、科学は研究対象への永続的アクセスを必要とするからだ。
古生物学は透明性、再現性、データ再現性に立脚している。どれほど見応えのある化石であろうとも、それが個人蔵のものであるかぎり、所有者の気まぐれで消失してしまうリスクがつきまとう。個人蔵の化石にはそうした不確実性があるため、将来、研究結果の検証や反復分析、新技術や新手法を用いた研究を行える保証がない。
それとは対照的に、ティラノサウルス・レックスのスーのように公益信託として博物館に保管されている化石もある。スーの骨格標本は20年以上にわたりフィールド自然史博物館で展示されており、これまでにいくつもの研究が行われてきた。テクノロジーの発展に伴い、我々古生物学者が化石に残された謎を解き明かす方法は増えており、研究を重ねるごとに恐竜が生きていた太古の時代への理解が深まっている。
専門的基準の重要性
まるで大衆文化が真の科学の代わりになるかのように表現された、恐竜がテーマの映画や恐竜のおもちゃなどを引き合いに出して、化石の商業取引を正当化したくなる人もいるだろう。だがそれは、ルーヴル美術館に収蔵されている絵画は素人が塗り絵キットで描いた絵で代用可能だと主張するようなものだ。注目を集める化石の高額オークションは、骨格が揃っている、巨大であるということのみで化石の価値が決まると大衆に誤解を与えている。
古生物学者の世界最大の学術団体である古脊椎動物学会はこのたび、専門的研究が備えるべき基準を反映した倫理ガイドラインを策定した。この倫理ガイドラインが定めたルールを厳しすぎると評し、「緩和すべきだ」と批判する声もある。しかし我々が倫理基準を緩和すれば、利便性や金銭的利益を優先し、科学的研究方法の核を成すものを放棄することになる。
化石人骨や文化財を個人収集家に販売する行為は倫理に反している。それと同じく、恐竜やその他の脊椎動物の化石の販売も非倫理的であるとされるべきだ。サイズや希少性にかかわらず、すべての化石は地球がたどってきた道のりを伝えるかけがえのない記録なのだから。
未来への投資
化石は売り物ではない。化石を愛する富裕層、超富裕層の人々には、資金を骨格標本の購入に充てるのではなく、変革をもたらす可能性のある分野へ投じることを提案したい。古代の骨に命を吹き込む研究、博物館、学生、学術団体を支援していただきたいのだ。
化石1点分の販売額に相当する金額があれば、画期的発見につながる研究、教育や展示の充実などを何年にもわたり支援できる。現在、科学研究は政府投資の削減に直面しているが、そんな時にこそ、こうした支援をレガシーとして残すべきではないだろうか。
1位 J53 廣田 恵
化石は科学的な証拠 個人が競売で落札すべきではない
昨年、「エイペックス」と名付けられたステゴサウルスの化石が競売にかけられ、4460万ドル(約70億円)で落札された。今年7月には、ケラトサウルスの幼体化石が3050万ドル(約45億円)で取引されたばかりだ。こうした化石の売買を支持する人々は、「このような取引に害はなく、むしろ科学の発展に寄与する」と主張する。また、化石を美術品のようにみなし、その美しさや歴史のロマンを称える声もある。
古生物学者として、私たちははっきりと申し上げよう。こうした見方はまったくの見当違いだ。
化石は、美術品でもトロフィーでもない。地球の悠久の歴史を形として記録した科学的データである。進化や絶滅、気候変動、生態系の誕生と消滅を理解するために欠かせない手がかりなのだ。
化石の真の価値は、値札の額ではなく、化石そのものから得られる知見にある。もちろん、美しい化石も存在する。しかし、絶滅危惧種のシロサイが美しいからといって、最高額をつけた者に売り渡すべきだと言う人はいない。化石の価値を決めるのは美しさではなく、科学研究のために将来にわたって利用できるかどうかだ。
科学と所有の対立
古生物学者は、気の遠くなるほど長い時間を扱う歴史家だ。数百万年にわたる生命の歩みを研究する私たちの学問は、ほかの科学分野と同じ基本原理の上に成り立っている。すなわち、データは公開され、だれもが利用でき、再現可能であり、検証できなければならない。この原理を古生物学の分野で維持するには、化石標本を、長期的な保存と研究を前提とする公的機関に収蔵する必要がある。
研究対象となる標本が公的機関でカタログ化され、将来にわたって利用できると保証されていれば、ほかの研究者は化石に刻まれたデータを検証し、継続的に評価し直すことができる。こうした条件が備わって初めて、古生物学の研究は科学として成立するのである。
この点こそ、「スー」として知られるティラノサウルス・レックス標本の1997年の競売が、今日の化石競売とは決定的に異なる理由である。スーの売買は民間の取引ではあったが、実際に購入したのは、官民連携の共同事業体——シカゴのフィールド自然史博物館(FMNH)、ウォルト・ディズニー社、マクドナルド社、そして個人の寄付者たち——であった。スーの骨格は購入直後に認定博物館であるフィールド自然史博物館に公共の資産として収蔵され、正式にカタログ化された。
スーは匿名の個人収集家のもとに消えることなく、科学者と一般市民の双方に開かれた科学研究の資源となった。これこそ、科学的に重要なすべての化石がたどるべき姿である。
しかし近年、発掘されたなかでもとりわけ貴重な化石の一部が、個人収集家の手に渡り、保管庫の奥へと姿を消しつつある。ステゴサウルスのエイペックスのように、買い手が標本を一時的に博物館へ貸し出す場合であっても、これらの化石は依然として有意義な科学研究の対象から外れてしまう。
将来にわたって利用できること
主要な科学雑誌が、個人所有の化石に基づく研究を掲載しない理由は明白だ。科学には、将来にわたって利用できることが求められるからである。
古生物学は、情報が開かれており、研究の手順が再現でき、データそのものも再現可能であることに支えられている。どれほど貴重な化石でも、個人の所有物であるかぎり、所有者の気まぐれでいつ消えてしまってもおかしくない。こうした不確実性がある以上、将来、発見内容を検証したり、分析を繰り返したり、新たな技術や手法を原標本に適用したりすることができるという保証はない。
この状況を、ティラノサウルスのスーのように公的に管理されている化石と比べてみよう。スーの骨格標本は20年近く公開され、その間に何度も研究が重ねられてきた。さらに技術の進歩にともない、私たちは古代の化石について新たに科学的な問いを立て、ひとつひとつの研究を通して太古の世界への理解を深めている。
専門的な基準が重要
恐竜をテーマにした映画や玩具を持ち出し、あたかもポップカルチャーは本物の科学の代わりであるかのように、商業的な化石取引を正当化したくなるかもしれない。だがそれは、塗り絵のような簡易キットがルーヴル美術館の名画の代わりになると主張するようなものだ。こうした派手な取引は、化石の価値が「完全さ」や「大きさ」だけで決まるかのような誤った印象を世間に与えてしまう。
世界最大の古生物学者団体である古脊椎動物学会は、専門的な研究基準を反映した倫理ガイドラインを策定している。これに対し批判派は、このガイドラインを厳しすぎるとし、規則を「緩める」べきだと主張する。しかし、倫理基準を緩めるということは、利便性や利益を優先して、科学的方法論の核心そのものを手放すことにほかならない。
人骨や文化遺物を個人収集家に販売することが非倫理的であるのと同じく、恐竜を含む脊椎動物の化石にも同じ基準を適用すべきである。化石は、平凡なものであれ、希少で壮観なものであれ、地球の歴史を伝えるかけがえのない記録なのだ。
未来を支える資金を
科学は売り物にすべきではない。化石を愛する富裕層のみなさんには、本当に変化を生み出す場にこそ資金を投じていただきたい。骨格標本をひとつ買う代わりに、古代の骨に新たな命を吹き込む研究や博物館、学生や科学団体への支援をお願いしたい。
一体の化石についた値札と同じ額で、画期的な発見も教育も展示も、長期的に支えることができる。科学への資金が縮小しているいま、そうした支援こそが未来に残すべき本当の遺産なのだ。