安達眞弓

 第21回JAT新人翻訳者コンテストも無事終了しました。ご参加いただいたみなさん、お疲れ様でした。

 今回、昨年に引き続き挑戦された方が3名もファイナリストに選ばれたそうです。お忙しい中、1年間勉強と試験準備を続けるのは並大抵のことではなかっただろうと拝察します。

 さらにここ数年、応募者のレベルが格段にアップしているのを実感しています。すでに翻訳者として活躍なさっている方も少なくないでしょう。今回ファイナリストに残った7名全員がかなりの水準に達しており、実際にトライアルを受けたら合格できるだけの実力をお持ちです。

 とはいえ、訳語の選択、文脈を理解した上で逐語訳から離れた訳文を作るという面で、研鑽に励む余地はまだまだありそうです。

 まずはこの、印象的な冒頭部から。

 Worried about~? Focus on food.が繰り返され、Focus on energy, and food.で終わっています。この冊子を全文訳す場合、最後まで訳してから「Focus on energy, and food.」が文脈に合ったものになるよう調整します。今回は抜粋ですので、みなさんの訳文のリズム、特に、原文の歯切れ良さが訳文に反映されているかを検討しました。

 「○○の××が気になるなら? 鍵は△△」ぐらいまで短くしてもいいかもしれません。

 参考までに、biodiversity lossはWikipediaのほか、環境省とWWFジャパンで「生物多様性の喪失」と訳しています。また環境や持続可能性の分野では、freshwaterを「淡水」と訳すことが一般的です。

【第一段落】

★faulty mechanics of

 直訳すると「~の誤った仕組み」となるこの部分、実は今回の課題文の鍵を握るところでもあります。「食料システムの誤った仕組み」とはどういうことか。作物や家畜を自給する現行の食料システムは約1万年前の完新世(当時の人口は250万人程度)から始まり、干ばつや洪水、地震など自然災害の影響を受けることがあっても、何とか維持できていました。ところが地球の人口が80億近くに達した現在、これだけの人数をまかなえるだけの仕組みではなくなり、さらに多くの食料を供給できるシステムへの移行が求められている――この背景情報を踏まえて考えると、ここは「食料システムが立ち行かなくなること」ということではないでしょうか。

★It feeds us. Billions of us.

 ファイナリストの大半が、このふたつの原文を「More humans than ever before in history.」 と続けて訳していました。日本語にするのがなかなか難しいところだったと思いますが、J88さんが果敢に挑戦されています。

【第二段落】

 参考資料として提示した図表1.1についての説明です。たとえばWikipediaで、完新世とはどういうものか、軽く確認してから訳すと、原文の理解度が高まります。

★biomass of humans

 生態学の文脈で伝える場合、カタカナの「バイオマス」よりも「生物量」のほうが適切です。

★unprecedented

 「かつてないほど安定」とは、地球が惑星として成立してから「初めて」または「ようやく」農耕が可能な状態で気温が安定した、ということではないでしょうか。辞書の語義をそのまま持ってくると、妙に浮いて見えることがままあります。この部分も調整が必要でしょう。

【第三段落】

 続いて図1.2についての説明です。細かいことですが、第二段落のThe firstとは図1.1のことです。第三段落のFigure 1.2と書式をそろえておくべきですが、ファイナリスト7名中6名が「ひとつ目」、「最初」と、原文にひきずられてしまっています。J71さんは配慮した訳出ができていました。

★in part thanks to~

 なぜ「in part」と前置きしているか。短期間で人口が急増したことが食料システムが立ち行かなくなってきた第一の要因ならば、大型野生動物の乱獲や環境破壊が第二の要因であると著者は言いたいわけです。J79さんは「も含まれます」と、「も」で受けているところを好感しました。

★big extinction

 Nature Asiaなどでは「大量絶滅」と定義されています。Wikipediaにも立項されていますので確認してください。「大規模」と「大量」の意味の違いを調べてみるといいかもしれません。

★weigh almost as much as

 weighの解釈で苦労された方がいらっしゃいました。このweighは「比較検討する」ことで、重さとは関係ありません。ペットや娯楽用として飼育されている動物の生物量は、地球上の野生動物の生物量に匹敵(相当)する、ということですね。

【第四段落】

 一見成功したかに思えた地球の食料システムがはらむ問題点について述べています。

★Success breeds its own problems.

 「成功したが、問題点をはらむ」といったところでしょうか。J71さんとJ79さんは文脈を踏まえた訳になっていると思いました。ただJ79さん、ちょっと慎重になりすぎた感が否めず、もう少し推敲する余地がありそうだと感じました。

★We have a lot of mouths to feed.

 想定外の人口増に見合った食料の供給が求められたわけですよね。J79さんは文脈を的確に理解しておられますが、ここもやや言葉を補いすぎています。

★Our appetite

 appetiteを言葉通り「食欲」や「欲求」としてしまうと、ちょっと生々しくありませんか? appetiteには「需要」という語義があります(American Heritageやビジネス技術実用英語大辞典など、複数に立項あり)。J79さんはここもクリアしています。

★The combined weight of

 文脈から、ここでのweightは重量ではなく、「生物量」だとわかります。

 最後に、応募者のみなさんにひとことずつ。

 J18さんの読みやすくて歯切れの良い訳文を好感しました。訳語の選び方や細部に気を配ると、もっといい訳文になるでしょう。weighの訳し方については上述の解説を参考にしてください。

 J27さんも勢いのある、いい訳文を書いてらっしゃいます。解釈で少し気になるところがありましたが、ご本人の意識次第ですぐに改善できるものばかりです。weighの訳し方については上述の解説を参考にしてください。

 J56さん、誤訳らしい誤訳はありませんが「バイオマス」をカタカナにされたところが気になりました。エネルギー分野での「バイオマス」と読者が混同しないよう、漢字で言い換えができるのなら漢字にするなど、配慮する必要があると思いました(クライアントからの指示があればそれに従うべきなのは言うまでもありません)。

 J67さんもあぶなげない翻訳で好感が持てました。in part thanks toの部分、ほかの方々もそうですが、「in part」を意識して訳しましょう。weighの訳し方については、上述の解説を参考にしてください。

 2位のJ71さんは1位のJ79さんとは僅差で、審査員一同、どちらを1位にするか迷いに迷いました。冒頭の訳し方、他の部分で係り受けに少し残念なところが見受けられました。訳出が終わって読み直しの段階で、日本語として自然に意味が通るか確認するプロセスを設けるといいと思います。

 前述のとおり、J71さんとJ79さんとの間に差はほとんどありません。J79さんはファイナリスト7名中、訳語の選び方がもっとも適切で、係り受けも正しく把握できており、あぶなげのない訳文というところが評価されました。誠実なお人柄がうかがえる訳文なのですが、情報を漏れなく伝えようとするあまり、やや冗長な文章になる傾向があるようです。

 J88さんは、特に冒頭部の翻訳のセンスの良さを好感しました。ただ、美しくて粋な日本語にしようとするあまり、原文を強引にねじ曲げてしまったところが散見されます。厳しいことを申し上げましたが、あと少しの工夫で格段に上達されるでしょう。

 翻訳という仕事を取り巻く環境がなお一層厳しさを増す中、果敢に挑戦してくださった100名あまりのみなさんにお礼申し上げます。翻訳歴3年未満なら何度でも参加できるコンテストです。努力は決して裏切りません。本コンテストがみなさんの研鑽の一助となれば幸いです。