法務翻訳の専門性 ― よりよい協働のために
法務翻訳については、「専門用語が難しい」あるいは「似たような言い回しが多いのでそれを覚えれば難しくない」など様々な受けとめがあります。ただ、いずれにしても関心が用語のレベルに集中しているように思われます。「内容を正確に理解し適切に表現する」という翻訳の基本に照らしたとき、この分野に特有の難しさはあるか? この点について、契約書翻訳についての日頃の経験を振り返りつつ、専門性につい考えてみました。
言葉を支える発想
ある日の父と子の会話。
子:お父さん、水族館行くよね、約束だよね
父:ああ、約束だ。一緒に行こうなぁ
子:明日、行くんだよね?
父:明日、行くとは言ってないぞ
子:でも、6 月中って言ったよ。明日、6 月最後の日曜日だもん
父:…
「言質を取る」という言葉が示すように、いったん言葉にして言ったら、(そんなつもりはなかったと思いつつも)そのとおり実行しなければならないのが約束の世界です。つまり、どう言ったかにより内容が創られ、その内容に言った本人も縛られるというのが約束の言葉の特徴と言えるでしょう。そして、(大雑把に言えば)契約は「この場合はこうします」という約束の束のようなものであり、そこで使われる言葉は、この約束の言葉の特徴を備えています。
翻訳者は原文の字面ではなく、その内容やメッセージに照らして訳文の表現を決めるという発想をします。しかし、約束の言葉を使うとなると、もともとの意図とは別に、使った言葉がどのように解され、結果、どのような拘束を招く可能性があるのかについて慎重にならざるを得ません。例えば、「ライセンサーは、ライセンシーの要請を受けて、…を防止するのに適切であると合理的に考えられる措置をとるものとする」という和文を、“Upon the request of the Licensee, the Licensor shall take such steps as are appropriate, in its reasonable judgment, to prevent …”と英訳したとします。
英文に“its”が入っている点について、文脈に委ねて省略の多い和文を英訳するときは省略された語を補って明示するという、翻訳の通常の発想からは適切に思われるかもしれません。けれども、和文は「誰が」適切性を合理的に判断するかについて、ライセンサー、ライセンシー、客観的な第三者のいずれとも解釈ができ、この点を敢えて曖昧にした可能性も十分あります。その場合は、“its”を入れてしまうと ― “its”を使用したこの表現では ― 、翻訳者が勝手に書き足して約束の内容を限定したことになります。
このように、契約書翻訳では、翻訳的発想と法律的発想とを適切にバランスさせる必要があり、その点に難しさを感じることもしばしばです。必要な場合は、法的判断をする立場の人に翻訳者としての判断を説明しつつそれに伴う懸念を伝えることになります。そういった作業を適切にするには、法律用語や契約書の特殊な言い回しを覚えるだけでなく、そういった概念の内容・機能、前提としている基本的な考え方を身につけている必要があります。
2 枚の絵をもとに 3 枚目を描く
契約を締結する際は、まず、相対する当事者のビジネス担当者が交渉を行い、実現したいビジネスの内容を固めます(1 枚目の絵)。次に、その絵について説明を受けながら、両当事者の法律担当者が、予め約束しておかなければ揉めごとになりそうな点を洗い出し、交渉し、ビジネスの絵を約束の絵(契約書)に描き直します(2 枚目の絵)。
翻訳者は、直接的にはこの 2 枚目の絵を翻訳するのですが、2 枚目の絵の意図 ― 何が問題なのか ― を理解するには、その向こうの 1 枚目の絵 ― 何をしたいのか、どんな場面があるのか ― を透視することが必要になります。一見どれも似たように見える契約書の表現も、2 枚の絵を区別しつつ重ねて見ることで、その微妙な違い ― 具体的なビジネスを反映した多様性がだんだん見えてきます。ただ、そのためにはその分野の基本的なビジネス・プラクティスについての勉強も必要になります。
よりよい協働のために
法務翻訳をしていると、法律やビジネスのプロを前に、自分の専門的素養に心もとなさを感じることがあります。それでも、時には、自分が訳文について申し送りをしたことがきっかけで、ビジネスの方と弁護士が改めて協議し、その結果、契約の条項が修正されるということもあります。弱点もひっくるめて役に立つための工夫をすることで、関係者のよりよい協働のトリガーにはなり得るようです。他分野の方からの信頼を大切に、コミュニケーションの仲介者という翻訳者の役割について考え続けたいと思います。