審査員講評 (英日部門)
安達眞弓審査員
石原ゆかり審査員
藤村聖志審査員
安達眞弓審査員
おかげさまでJAT新人翻訳者コンテストも第15回を数えることとなりました。審査員のひとりとして、参加者の皆さんとともに、翻訳者として多くのことを学んできました。回を重ねるごとに新しい発見があり、新人時代のことを思い出したり、翻訳者として二十数年働いてきたけれども、はたして自分はちゃんと訳せているだろうか、ボーッと生きてはいないだろうかと、毎年この時期になると考える、いい機会になっています。
さて今回は、日英部門と同じテーマ『自動運転』をあえて選んでみました。フューチュラマ構想は、今回課題探しをしていてはじめて知りました。Wikipediaで日本語版があるほど有名な企画展示で、写真もいくつか掲載されています。この記事を読んでから訳せば理解しやすくなると思いきや、皆さん、関係代名詞が連なる長文に四苦八苦されたようです。もちろん原文を読み解く力を養うことが先決ですが、写真や資料で知識を広げることで、原文の論旨に寄り添うことができます。
第1段落は、皆さんfeatureの解釈に苦労されていました。日本語にするのが難しい動詞ですよね。カタカナで「フィーチャーする」が使えたらどんなにいいだろう、と思うことは何度もあります。ファイナリストの皆さんの訳文も、同じ文中にあるexhibitと一緒くたに訳したものもあれば、feature本来の意味から外れたものも見受けられます。
フューチュラマはすごい。何がすごいかというと先進技術によるスーパーハイウェイ構想を打ち出したからだ。そのすごさはというと、where以下である――というのはわかりますよね。つまりfeatureは、各英和辞書に必ず載っている「特色になる、重要な意味を持つ」という語義が当てはまります。
第2段落ではswiftlyの訳し方を重点的に見ました。車って「素早く」動くものでしょうか? スピードが出て当然な乗りものですよね。個人の偏見かもしれませんが、「素早く」という言葉には生き物が動くときに使うというイメージがあります。車という機械がswiftlyに動く。このときふさわしい日本語はほかにありませんか?
J35は「スムーズに」、J36は「軽快に」J47はシンプルに「速く」と訳しています。どれも適切に解釈されていると考え、加点しました。
第3パラグラフには、法律名や米国運輸省のプログラム名が出てきます。どちらもネットで検索すると、政府機関や大学で使われている定訳がわかります。英辞郎やWeblio辞書でしか見受けられない訳語を当てておられるのはどうでしょう。ここは労を惜しまず、定訳を探してもらいたいところです。
第4パラグラフ最初のセンテンスに出てくるspearheadは「to serve as leader or leading element of(Webster)」という意味です。OTEでは「be the driving force behind」という語義もありました。「AHSプログラムの活動が原動力となって、NAHSCが結成された」と読めますね。
第5パラグラフになると息切れしてきたのでしょうか、日本語で読んでいて「あれ?」という訳文が多くなりました。have proposed innovative mechanical methods to facilitate critical intermodal transfersの訳は、ファイナリスト5人5様でなかなかご苦労されたようです。この文の主語はsome futuristsですから、最後まで主語を貫き通してください。「一部の未来学者」という解釈がありましたが、「~という未来学者もいた」と文末に持ってきたほうが、おさまりがいいでしょう。また、このパラグラフのtubeは文字どおりの「チューブ」ではなく「⦅米⦆ 地下鉄[道]のトンネル(ランダムハウス英語辞典)」です。
第6パラグラフでは日本語の表現で気になるところがありました「自動運転道路を唱える人々」では「交通運転道路~」とぶつぶつ呟きながら歩いている人々のようにも読めます。「提唱者」とするほうがいいでしょう。「輸送専門家」では、物資を運ぶ現場の人々とも読めますが、輸送問題を研究する立場の人々も含めているように訳せないでしょうか。米語では、transportationを「交通」という概念でも使います。この文章は米国運輸省のサイトに掲載されたものですから、米語の解釈を採用すると意味がはっきりしてきます。
今回の課題文は訳文を作るのが大変だったと思います。しかし、最後まで訳し終わったら、一度原文から離れて、訳文だけ読んでみましょう。「唱える人々」「チューブ」のような訳語が浮いて見えるはずです。そこでもう一度立ち返り、自分が選んだ訳語がほんとうに適切か、もう一度検討することをお勧めします。
では最後に、おひとりずつコメントいたします。
J16
タイトルの付け方や第1パラグラフの「光り輝く超高層ビル、壮大な高速道路網、効率的な移動の可能性。」など、言葉のセンスの良さに好感を持ちました。緻密に訳文を作り上げることに力を注ぐと、もっと上が目指せるでしょう。
J30
解釈はよくできていると思います。ただ、訳語の選び方に気になるところがいくつかありました。
J35
第4パラグラフの「AHSの実証実験に結実しました(「実証実験“で”結実しました」のほうがいいかもしれません)」や「手も足も触れない状態」など、工夫された訳文という印象を抱きました。第5パラグラフの「チューブ」、第6パラグラフの「時間枠」など、再考するといいところがいくつかありました。
J36
J35さんと最後まで第2位を争いました。ほとんど差がありません。第2パラグラフの「シティー・オブ・トゥモロー」と、あえてカタカナを使うのは、キャッチーな感じが出せていると思いました。しかし、第4パラグラフの「手足の操作を必要としない」はどうでしょうか。これはJ35さんにも言えることですが、あと少し、もう少し推敲に時間を割いてください。
J47
最終審査員全員が1位に推しました。少し気になるところもありますが、よく読み込んでおり、内容がすっきりと頭に入ってくる訳文です。おめでとうございます。
石原ゆかり審査員
今回の課題文のテーマは自動道路システムです。私の勤務先では、ちょうどこの審査の時期に社屋が郊外から都市の中心部に移転しました。どうやって通おうかと悩み、渋滞や駐車の不便さなどを考えた末に長年の車通勤を断念し、バスと電車を乗り継いで通うことにしました。健康にも良いし、エコにも貢献・・・と悪くはないのですが、以前に比べて通勤時間が倍になった、交通費が高い・・・と、不便に感じていることもあります。それに運転が好きなので、さみしさを感じてもいます。昨今、AI(人工知能)化が進んでなんでも「自動」の世の中ですが、こんな自動道路システムがあったら車での通勤も安全で楽なのに、と、重いパソコンが入ったリュックを背負い満員電車に揺られながら考えています。未来の車社会はどうなるのでしょうね。
さて、この文章、1930年代末に開かれたニューヨーク万博での展示「フューチャラマ」で描かれた自動車社会の未来予想図から始まります。未来と言っても万博からわずか21年後、1960年の姿なんですよね。This vision in the late 1930s ~1960, only 21 years into the future!のところ、数字が並んでややこしいかもしれません。最終選考作品ではどれもきちんと関係がつかめていたようですが、「late」が「末」ではなく「後半」というようなうっかりミスもありました。一語一語、原文と訳文の両方の言葉の意味を考慮して丁寧に訳すようにしましょう。
第1段落は未来の描写だけあって、technically advanced(「先進技術の」、「先進の」)、mesmerized(「心を奪われた」、「魅せられた」、「魅了された」)、promise(「約束された」)、gleaming(「光輝く」、「きらびやかな」)、spectacular(「壮大な」、「目を見張るような」)、など、胸がときめくような表現が散りばめられ、夢のような展示の姿が活き活きと描写されています。最終選考作品では括弧の中に挙げたようになかなか良い表現がありました。こういう描写は「頭の引き出し」に日本語の形容詞をたくさん用意しておくとすらすら訳せるようになります。そのためには普段から日本語の文章に親しむとよいでしょう。Cities would have elevated、greater mobilityというように、初心者には訳しづらいと思われる表現がありましたが、「都心には高架式の歩道が作られ」、「より自由に移動ができる」など、こなれた訳が見られ、プロへの道の近さを感じました。navigate curvesは、どれも「カーブを曲がる」にとどまっていますが、navigateのすいすいと進んでいくようなイメージが含まれるような表現があればさらに躍動感が出るのではないかと思いました。
第2段落はさらに進歩した「フューチャラマII」。ここでも未来の描写が続きます。そんなに好評を博した展示とは一体どんなものだったのでしょう。深く知りたくなりませんか。翻訳のときにそのような脱線をするのに私は大賛成です(もちろん時間管理は大切ですが・・・)。特に初心者の場合、原文を読んですぐにいきなり訳し始めてしまう人は多いでしょう。でも、文章のテーマや文中に出てくる事柄、ここでは「フューチャラマ」や後半に出てくる「AHS」のことなどを調べ、背景・関係を理解するというひと手間をかけると格段に訳しやすくなります。たとえば、車の取扱説明書の仕事。運転したことがある人とない人では理解度、表現力、そして翻訳スピードが全然違ってきます。じゃぁ、運転できない人は車の取扱説明書の仕事は受けられないのか、というわけではもちろんありません。調べればよいのです!翻訳上手はリサーチ上手。背景を十分に理解していないと細かな点で関係があやふやになってしまいます。たとえばnextを「続いて1964年~」とするとニューヨーク万博が連続して行われたように聞こえます。万博の開催年と場所を調べると、ニューヨーク万博は1939年と1964年に開催され、その間に4回、別の都市で開催されています。ということは、このnextは「ニューヨークで行われた万博としては次」という意味です。「1964年、次のニューヨーク万博」が一番適切に訳せていたでしょうか。
construct 1.61 kilometers (1 mile)をそのまま「1.61キロメートル(1マイル)建設する」とすると「メートル(長さ)を建設する」ということになり、論理にかなっていません。「のペースで」、「という速さで」と入れると自然な表現になります。このあたり、理解度の差が出ていました。eliminateは「は~解消する」、「~では~解消し(する)」、「~では~なくす」というように訳されていましたが、日本語では「~では、される、なくされる」など受身の方が自然です。by building urban living centers above advanced freewaysは、意味は分かっても、いざ訳すとなると難しそうですね。いろいろ工夫してありましたが、「先進的な高速道路の上に都市部の居住空間を建設することで」が個人的にはもっとも素直で的確だと感じました。carry pedestriansは「たどり着く」、「移動する」と能動態で訳されていましたが、ここでは敢えて「運ばれる」などとすると、「自動歩道」というイメージが出てくるかもしれませんね。読んでいて止まってしまったのが、atomic-powered road-building machine。そのまま「原子力道路建設機械」としても良いのかもしれませんが、一見「原子力道路」の「建設機械」と読めてしまいました。「原子力で動く~道路建設機械」が意味を理解した上で的確に表現していたと思います。「レーザーカッター」はネット検索すると小型のカッター機が出てきました。「伐採+レーザー」などで検索してみると、その分野で適切な用語・表現が見つかりますよ。Without regard for environmental concernsは、辞書の言葉をそのまま使うと「考慮せずに」なんですが、ちょっと著者の主観が強く出すぎて論点の方向が変わってしまうなと思ったら、「環境への配慮はさておき」という訳があり、これだ!と答えをもらった気分になりました。このような表現こそ、英文和訳と翻訳の分かれ目と言えるでしょう。
第3段落は、夢のような「フューチャラマ」から、より現実的な取り組みに移ります。法や組織の名称はきちんと調べましょう。こういった固有名詞、特に法案の名称は、自分で一生懸命訳してから、あとで他のことを調べているときに日本語での名称が見つかって、なーんだ、とがっかりすることもあります。それに名称を調べる過程で、それについての説明も見つかるので一石二鳥です。引用箇所はもしかしたら日本語で定訳があるかもしれません。プロは正確性はもちろんのこと、作業効率も意識しなければならないのです。AHS programは「AHS計画」が定訳のようですね。demonstrateは「示す」、「実証する」と、きちんと訳されていました。翻訳とは離れますが、このdemonstrate、ちょっと高度な表現を使いたいときに便利で、私も、「She has demonstrated strong leadership potential…」など、職場で誰かの業績を評価するときに使ったりしています。
第4段落も実際に行われた事柄についての描写です。実験や組織、土地の名前が出てきます。何かしら参考文献が見つかるかもしれません。まずは検索してみましょう。冒頭のMore recentlyを「ここ最近」としている作品がありましたが、それだと「今」に近いように聞こえます。でも実際には「more」は前の段落の「フューチャラマ」の時期よりも現在に近いという意味なので、誤訳になってしまいます。何となく使ってしまいそうな表現ですが、言葉の意味を辞書で調べて正確に訳せるようにしましょう。「その後」という訳もありましたが、それだと視点が「現在」に来ないので、意味が薄い気がしました。spearheadedはビジネス関連の文章で最近よく見かけます。spearの head、つまり槍の穂先から派生した言葉です。こうして分解してみると鉢巻きを締めてエイ、ヤーと威勢よく突くイメージが見えてきませんか。先頭に立つ、率先して推進する、という意味ですね。「先導となり」が最も近いと思いますが、もう少し工夫できるかもしれません。ちなみに「AHSプログラムは~指揮した」では、「プログラム」は「指揮する」の主語にはならないので文法ミスです。
文法と言えば、主語と動詞が一致していない表現がいくつかありました。「成果がピークを迎える」は「成果」という結果を示す主語が「迎える」という動きを示す動詞と一致していません。それからThe demonstration provided participants ~, gave~で、「このデモの参加者たちは、~与えた」、「興味は掻き立てられました」「この実証試験では~抱かせました」とありますが、最初の節を「参加者」を主語にして受動態にしたのはよくても、後続の節では「参加者」をそのまま「gave」の主語にしていたり、主語がなくなっていたりして意味が分かりづらくなっていました。
stakeholdersは、近年ビジネス関係の文書等で「ステークホルダー」という言葉が使われていて、どれもそのままカタカナで来るかな、とやや心配していましたが、最終選考作品では「関係者」など、この文脈に沿った訳し方がされていて安心しました。でも、top-levelの場合は「最高峰」、「最高レベル」となるとそこに強調が置かれ過ぎてしまい、読んでいて止まってしまいます。ここではむしろ「トップレベル」と、カタカナ語でさらっと流してしまった方がすっきり読み進められると思います。「完全自動運転実現に向けて」は「運転の実現」とすると読みやすくなります。hands-off, feet-offは「手放し、足放し」と日本語でも韻を踏んだ言い方にすると原文の効果が反映されます。tantalizingについては、安達審査員長と藤村審査委員が分かりやすく解説されているのでそちらをご覧ください。
第5段落では、現在の流れについて話しています。Some~, others~はよくある表現ですね。よくある「~する人もいれば、~する人もいる」という辞書や文法書にある訳し方にとらわれず、皆さん工夫して訳されていてよかったです。ただ、have suggested、have proposedは、現在形や過去形で訳されていて、「これまでそういうことがあった」という時間的な要素が表現さていませんでした。その前にcontinuedと継続を示す表現があるので、ここは「~されてきた」など、しっかりと時間の流れを出して欲しかったですね。また、suggestedとproposeもきちんと訳しましょう。「示唆する」は「ほのめかす」という意味なのでこの文脈では弱いと思います。同様に「述べる」、「提示する」も弱いです。逆に「主張する」だと強すぎる気がします。「意見」、「提案する」辺りが無難でしょうか。このように類語が並列している場合、原文では違う言葉が使われていても、この文章のように意味の違いがそれほど重要でない場合、日本語では敢えて同じ訳語を充ててもよいかもしれません。suggest、proposeの違い、日本語の「提案」、「提唱」の違いを吟味しましょう。involve…もよく使われる表現ですが、underground automated highwaysの説明をするのが目的なので、この言葉自体を訳す必要はありません。最終選考作品のように「伴う」、「~を埋め込んだ」あたりがすっきりしていると思います。個人的には「方式の」とまで言ってもよいとは思いますが、人によっては多少訳し過ぎと取られる恐れもあるのでご注意を。
最後の段落です。Proponentsを「提案者」とすると、実際に何かの案を発表や提出するというように具体性が伴ってしまいますが、文章からは具体的に何か提案があったのかは判断できないので「提唱者」の方が適切でしょう。within a 2030 to 2060 timeframeを「2030年から2060年までの時間枠の輸送問題」としている訳がありましたが、これだと「2030年から2060年の間に起こる輸送問題」という意味になってしまい、誤訳です。原文を一語ずつ拾って読むだけだとこのような勘違いをしてしまいがちです。自分の訳文全体を何度も(できれば口に出して)読むと、こういった論理に合わない点に気づくでしょう。Others disagree.は、前の文とともに口に出して読んでみてください。while…、meanwhileとか、on the other hand…ではなく、強く言い切っています。訳でもそのパンチを利かせて欲しいですね。「これに異を唱える人々もいる」、「それに異を唱える人々もいる」「いますが、意見を異にする人たちもいます」と、なかなか良い表現を使っていますが、「しかし、この考えに賛同しない人もいます」と、「しかし」など逆接の接続詞を入れると対比が明確になり引き締まります。to faceを「立ち塞がる」としている作品がありましたが、概念的な障壁の場合は「立ちはだかる」の方が一般的です。distant futureを「かなりの年月をかけても」と訳すのは良いセンスだな、と思いました。
J16: 表現力の高さを感じますが、原文と訳語の意味が正確でないところがあります。丁寧さを心がけましょう。
J30: 意味を良く理解して自分の言葉で表現しようという姿勢が見られて良かったです。ただ、「beneath」が抜けている部分や「道路建設に先立ち」など、意味が不明な部分がありました。推敲のときにきちんと全部のパーツを訳せているか確認しましょう。
J35: しっかりと訳せていました。digging connector tubesの誤訳は惜しかったです。あと、数字の表記にばらつきがみられたのでご注意ください。
J36: 原文をよく理解してよく訳せていたと思いますが、日本語の表現が分かりづらいところが気になりました。「目を見張る高速道路」、「より優れた移動性」、「高速道路を超える高さに」、「モデル開発を行い」など、一見分かるようで分からない表現があります。variousを「至るところで」としたのは誤訳です。 To make this vision a realityを「~するためには」と「は」を付けたことでニュアンスが違ってきてしまい、違和感がありました。
J47: とても良い翻訳だと思いました。原文理解力、日本語の表現力ともに優れています。欲を言えば「目もくらむような都市」は意味が不明ですので「目もくらむようなきらびやかな都市」とするなどすると良いでしょう。「手足をフリーに」は、この意味の「フリー」がまだ日本語としては完全に定着していない可能性もあるのでもうひと工夫してみてください。「~で終止符」は「~をもってして終止符」、「~により終止符」だと思います。
みなさん、お疲れ様でした。次回も素晴らしい作品を期待しています。
藤村聖志審査員
皆さん、今年も提出いただいた力作を楽しく拝見しました。機械翻訳の進化による今後の翻訳業界への不安が囁かれる中、毎年、翻訳技能の向上に切磋琢磨される方々の成果を目にすることができるのは大きな喜びです。機械翻訳の話が出たついでにお伺いしたいのですが、機械翻訳による訳文ってどんなものでしょう?データの蓄積やAIの進化により機械翻訳の能力が向上していることは否めませんが、どんなに立派な機械翻訳でも、膨大なコンテキスト・訳例を蓄積・解析してから平均化して出した答えにすぎない、と私は思っています。審査員としては、そのような平均的な「答え」は期待していません。そもそも良い翻訳はあっても「正解」としての翻訳はありません。言葉による表現そのものがすでに個々人の個性の反映であるので、訳文を見た人に訴える形もさまざまです。ただ、伝えるべき情報やアイデアを訳文によってちゃんと表現できたか、つまり、「成功」と「失敗」があるだけなのです。
今回の課題中に、give the public a tantalizing taste of the futureという一句があります。tantalizingという単語はイメージを掴みにくいのか、皆さん苦労されたようで、訳出内容もバラバラでした。ひとつだけ言っておきますが、give the public a tantalizing tasteは、give a hopeではありません。ちなみにオックスフォード英英辞典のtantalizeの解説を引用しますとtorment or tease by the sight or promise of what is unobtainable というような、むしろ否定的な意味であって、少し俗っぽい例えで言いますと、昔「8時だよ全員集合」で加藤茶がやっていた「ちょっとだけよ・・」のイメージなのです。これを和英辞典どおりに「待ち遠しくなるような・・片鱗」とか訳しても、模範的な「答え」ではあるかもしれませんが「成功」とはいえません。このような「答え」は機械翻訳に出してもらうとして、人間対人間のコミュニケーションとして有効な訳文を作れるように、「著者が伝えたい情報は何か」ということを常に年頭において柔軟な訳を作成するようにしてください。言っておきますが、名訳を目指せということではありません。最初から上手く訳してやろうと力が入り過ぎるとあまり良い結果が出ないもので、素直に訳せるところは素直に訳し、工夫が要求されるところでは個性を存分に発揮していただければ良いと思います。
J47
上手な訳だと思います。一番良かったのは、課題文全体が訴えるテーマを意識しながら英文が伝えようとする情報をイメージしていく姿勢が見受けられたことです。個々の文を念入りに分析し、辞書を丁寧に引き、適切な訳語を当てはめていく等、地味な努力が大切なのはいうまでもありませんが、それで満足していると、誤訳はなくとも、それこそ機械翻訳と大差ない訳が出来上がります。J47さんはそういったレベルから一歩進化している-私はそのように感じました。第二段落のWithout regard for environmental concerns を「環境への配慮はさておき」と訳されたのは秀逸でした。課題文全体のトーンとしては来たるべき未来への夢(タイトルにもDreamが入ってますよね)を語っているのですから、この部分をあまり否定的に「環境への配慮が全くありませんが」とか訳すのは考えものです。J47さんがここで「さておき」という日本語独特の保留表現を使ったのは、全体を俯瞰しながらロジックの流れを追って行った成果だと思います。Dazzling cities sprang up …either of side of …road-building machineを「巨大な道路建設機械が通るそばから・・」としたのも、著者の伝えたいイメージをしっかり捉えた訳だと思います。「道路建設機械の両側(両脇)のジャングル・・」でも立派な訳なのですが、著者が伝えたいのは、「建設機械の両側(両脇)のジャングル」という静止的な位置情報ではなく、道路建設機械が通った後にビルがニョキニョキと現われるダイナミックな姿なのです。laser tree cutter preceded…. Dazzling cities sprang up…といった、自動詞を使った動的表現に注目してください。第三段落もなかなか手ごわいのですが、to不定詞が結果を表わすように捉えて上手く処理しています。ただ、冒頭でも触れましたが、give the public a tantalizing taste of the futureを「その訪れが待ち遠しくなるような未来の片鱗・・」としたのは、きっちり調査した苦心の訳であることは認めますが、あまり読者に伝わらない表現だと思います。「人々は未来の姿をちょっぴり(ちょっとだけ、わずか)でも感じ取る(想像する)ことができた」といったような訳はどうでしょう?「手足を使わない運転」の体験が the sight of what is unobtainableであって、tasteについても、何が何でも「味わう」と訳出する必要はなく、文脈によって「感じる」や「想像する」等としても良いのではないでしょうか。
J35
簡潔な文体でまとまった訳文に仕上げているのは好感が持てます。ある程度の実力を持っていらっしゃるようですが、二つほど指摘させてください。まずgive the public a tantalizing taste of the futureの部分ですが、「将来への大きな期待を抱かせました」としたのは良くないですね。これではgive the public a great hope for the futureですね。tantalizingのようなあまり馴染みのない語句が出てきたら、なるべく例文が沢山載っている大きめの辞典か英英辞典を開いて語義を確かめてください。例文が沢山載っている辞典では文脈中における語句の働きが解るし、英英辞典ではその中心的意味を確認することができます。単語のイメージを捉えることができたら、辞典の解説を拝借するようなことはせずに、課題文の文脈に沿った訳を考えてください。これこそが翻訳者の仕事であって、辞書やインターネットはあくまでも道具に過ぎません。次に第五段落のdigging connector tubes between…のくだりですが、「チューブを埋め込んだ」はおかしいと思いませんか?burying connector tubesではなくdigging connector tubesと言っているので、このtubesは掘るもの、つまり地下鉄道用のトンネルのことです。大きい辞書には載っていると思いますので確かめてください。
J36
J36とJ35のどちらを次点にするかで少し意見が分かれました。J36さんは、はっきりした誤訳がないという点ではむしろJ35さんを上回っているのですが、不正確・不適切な表現の数が少し多かったようです。まず第一段落のSound unbelievable?ですが、「読者の皆さんには、ありえない話に聞こえるでしょうか」としたのは、親切に噛み砕いた訳のようにも見えますが、「読者の皆さんには」が余計だと思います。Sound unbelievable?とスパッと言いきっているのだから、「ありえない話に聞こえるでしょうか」ですませるべきですね。次に第二段落のWithout regard for environmental concerns の訳「環境への配慮が全くありませんが」ですが、冒頭でも述べたとおり、不必要に否定的です。少なくとも「全く」は全く必要ありません。第三段落では、to demonstrate the vision…を目的の不定詞として無理やり前に持ってきましたが、その結果、「このモデルを・・ベースとする」いう苦しい訳になっています。J47の訳のように、「・・・プロトタイプを開発し、(そこから=from which)将来的には・・・目指す」として、・・構想や技術を提示した」という風に原文の流れに沿って結果的に訳していくやり方も学んでください。第四段落の「コンソーシアムの成果がピークを迎えた」はwork of NAHC culminatedのことだと思いますが、「ピークを迎えた」という言い方は無理があります。「結実(J35)」とか「集大成(J47)」ならOKでしょう。
J30
訳文には勢いがあるのですが、少し緻密さに欠けますね。第一段落ではautomatic radio controlを自動電波制御としたのが不正確です。車を自動で運転するのですから自動無線操縦ですね。私は工業系の仕事が多いのですが、自動電波制御と書かれると自動で電波を制御する意味に聞こえます。「曲線道路を走行する」もnavigate curvesの訳としてはおかしいですね。navigateは上手く操縦する意味ですので、「カーブを曲がる」とすべきです。第二段落では、「環境面の問題など全く気にせず」が、上で説明した理由で問題になります。また、「・・のレーザーが木々を伐採」は、laser tree cutter の訳としては不正確です。「レーザー」といえば普通は光線自体を指します。第四段落の「このデモの参加者たちは」も気になりますね。文脈から分かるとはいえ、プラカードを持って騒いでいる人のことではないのですから、デモンストレーションといった方がいいでしょう。最終段落ですが、「・・と確信している」も不用意な訳です。considerに対応する箇所ですので、「考えている」「看做している」くらいにしてください。
J16
最終審査に残る位の実力は身についているのですから、もう少し丁寧に訳して、一段階レベルアップしましょう。まず第一段落ですが、「道路の上に歩道が造られ・・歩道の下を走る車と接触することなく・・」は曖昧な表現です。「道路の上」と言っただけではelevated walkwaysの距離間が感じられず、「接触することなく」というと、まるで車が歩道のすぐ下を走っているようなイメージを与えます。また、Sound unbelievable?に対して「しかし、未来の高速道路であっても・・非現実的すぎるのではないだろうか?」は長過ぎますねえ。第二段落を見ますと、「化学薬物をきれいな空気の中にまき散らす」が誤訳です。Spraying the cleared area with chemicalsをspraying the clear air with chemicalsと読み違えたのでしょう。cleared areaは、木々を伐採してclearにした場所のことですね。第四段落の「・・成功をもって終了した」もculminated inの訳としては間違いです。culminateを他動詞としてつかう場合は「・・最後を飾る」等の意味がありますが、その場合でも「終了した」はふさわしくないですね。第五段落では、metropolitan areasを「一つの都市」としていますが、areasとわざわざ複数形にしているのに「一つの都市」はおかしいですよね。これは大都市圏(metropolitan)のいろいろな地域を指しているのでしょう。ネイティブの複数形の使い方が難しいと感じることもあるかもしれませんが、複数、単数はしっかりと意識する習慣をつけましょう。
皆さん、翻訳は楽しいですか?もし楽しいとおっしゃるのなら、それは翻訳作業における創造的部分がお好きなのだと思います。翻訳作業における創造的部分とは、もちろん、訳文作成作業であって、訳文を作成する時点では皆さんが主役です。その結果上手い訳ができたとしても、それが絶対的な正解とは言えません。原文の意味を漏れなく伝えるという絶対的な制約がありますが、ある言語で情報を表現するという行為自体が創造的作業であって、皆が皆同じ訳文を書くというようなことはあり得ないでしょう。「何(原文)をどうやって(訳文)伝えるか」-これが翻訳作業の難しさであり、楽しさでもあります。そのためには、正しい英文解釈と優れた和文表現の二つの要素が不可欠です。他の審査員の方々からもいろいろ指摘をいただくでしょうが、結果に一喜一憂しないで、いつまでも翻訳が楽しいという気持ちを忘れないでください。そして、たまには、自分が何故翻訳が好きなのか自問自答するのも良いかもしれませんね。