審査員講評 (英日部門)    

安達眞弓審査員    
石原ゆかり審査員   
藤村聖志審査員

安達眞弓審査員

第13回JAT新人翻訳者コンテストにご応募いただいたみなさま、お疲れ様でした。今回は英日・日英ともに「サイバー」がテーマの課題(示し合わせたのではなく、わたしと日英部門のデービス委員長とがほぼ同時期に偶然同じことを考えていたようです)となりました。

今回ファイナリストに残った5名は皆さんお上手で致命的な誤訳もなく、文章力と訳文への配慮が受賞の判断基準となりました。

というわけで今回は、
・ One of the most well-known and most tragic cases of cyberbullying was that of Tyler Clementi. Clementi committed suicide on September 22, 2010 after his roommates posted footage online that showed him being intimate with another male. The roommates had filmed the video with a secret webcam. Sadly, cyberbullying is especially prevalent against LGBT youth.
・ In Chappaqua, New York, several high school senior boys created a website to share information about their female classmates—including details on the girls’ level of “sexual experience,” as Amy Benfer reports in a Slate.com article entitled “Cyber slammed.”

この部分を取り上げ、2017年になってからにわかに話題となった“Fact”を押さえ、正確な情報を日本語にして読み手に伝えることについて考えてみたいと思います。

Tyler Clementiとは?

名前を検索するとすぐ、〈Tyler Clementi財団〉のサイトが見つかります。ネットに動画を公開されたことを苦にして自死したTylerのご両親が立ち上げた財団です。Tylerに何が起こったかについては課題文にありましたね。

Clementi committed suicide on September 22, 2010 after his roommates posted footage online that showed him being intimate with another male.

この文章で注意すべきなのは“being intimate with”です。英和辞書を引くと「性的な関係にある」という語義が必ずあります。「ねんごろになる」とか「情を通じている」など、いきな意味合いにも触れています。
今回ファイナリストに残った5名中2名が「性行為」、2名が「親密にしている」、1名が「性的な関係」と訳しています。実際にはどうだったのか調べてみました。

New York Times:http://www.nytimes.com/topic/person/tyler-clementi
2016年10月26日付記事で"having sex"としています。

一方Washington Postは:https://www.washingtonpost.com/news/grade-point/wp/2016/09/09/retrial-ordered-in-case-of-rutgers-student-who-killed-himself-after-being-spied-on-kissing-another-man/?utm_term=.bda0cd77957a
"kissing another man"という表現です。有名紙でもこれだけ差がありました。キスは性行為でしょうか。気になると追及したくなりますよね。

まず、国語辞典で「性行為」を引いてみましょう。Wikipediaにも詳しく載っています。性的な行為の最終形態といえる定義がされています。アメリカの有力紙でも表現が二手に分かれているのに、「性行為」という強い表現をここで使ってもいいのでしょうか?

つづいて本件の裁判記録を探しました。地元ニュージャージー州の新聞社の過去記事で、Tylerがいた寮の部屋にウェブカムを取りつけた女子学生の証言が見つかりました。:http://www.nj.com/news/index.ssf/2012/02/molly_wei_testifies_in_dharun.html

She said they both were surprised and shocked when they saw the two kissing, fully clothed. Wei said it was the first time she had ever seen two men kissing.

ビデオに映っていたのはふたりがキスするところ。それを公開されただけでも本人にとってはショックだったはずです。ましてや別の言語に翻訳された文書で「性行為」と書かれていたら――。

繰り返しますが、今回の課題文のテーマは「ネットいじめ」です。人が亡くなった事件について言及しています。だからこそ、言葉の選び方には細心の注意を払っていただきたいのです。翻訳では英語力や文法力が求められるのはもちろん、原文の背景にあるものへの配慮も必要です。ここで「わたしの専門分野は産業翻訳だから、そんな配慮は必要ない」と思った方はいませんか? 各業界で流通している語彙に精通し、適切な意味であるかを検討して読み手に配慮することは産業翻訳でも必須の資質です。機械翻訳の精度がいくら高くなったといっても、配慮すべきところを文脈から読み取る技術を搭載するのはまだ先のことでしょう。この業界で(たとえ細くても)長く生きていくには、こうした配慮が必要ではないかと考えます。

次に、several high school senior boysは何年生?問題に入ります。

ここでのseniorは「高校の最上級生」を意味します。ファイナリスト5名中4名が「高校3年生」としていますが、本当に3年生でいいのか、疑問を持ちませんでしたか?

インターネット草創期に誕生した有名なオンラインメディア、Slate.comの文章ですから、検索すれば簡単に原文が手に入ります……おっと、手に入ったのはSlate.comじゃなくてSalon.comの記事でした。
http://www.salon.com/2001/07/03/cyber_bullies/
Cyber slammed Wednesday, Jul 4, 2001 04:03 AM +0900

いやはや、こういうことは実際に仕事をしているとよくあります。「原文が間違っていますよ」と訳注をつければなお結構。でも今回は選考基準にはしておりません。

気を取り直し、リンク先に飛んで “Cyber slammed”の本文を読みましょう。senior boysが通っていたのはHorace Greeley High School。検索するとWikipediaに情報がありました。
https://en.wikipedia.org/wiki/Horace_Greeley_High_School
Horace Greeley High School is a public, four-year secondary school serving students in grades 9–12 in Chappaqua, New York, United States

そう、4年制ハイスクールなのです。

今回おひとりだけ「高校の最上級生」と訳したJ69さんは配慮が行き届いた訳文を作っており、全員一致で1位に選ばれました。

それではファイナリストの皆さんにおひとりずつ簡単にコメントしていきます。

【J1】
簡潔で読みやすい訳文です。ただ、significant otherが訳出されていないなど、もう少し訳文を丁寧に仕上げるとよかったかもしれません。
【J2】
can range fromの“can”が訳文に反映されていないように読めます。Slate.comの抜けなど、提出前に直せるミスがいくつかあります。もう大丈夫と思っても、いま一度訳文チェックをするよう心がけてください。
【J29】
こちらもcan range fromの“can”が訳文に反映されていない、especiallyの訳抜けなど、細かいところが気になりましたが、特に「ネットいじめリサーチセンターは~」から始まる部分など、こなれた訳文であることから2位に選ばれました。
【J53】
丁寧に訳されていますが、全体的に日本語がこなれていないという印象があります。「本名」は「実名」の方が適切ではないでしょうか。
【J69】
前述した2つの“Fact”を押さえ、訳文も読みやすく配慮が行き届いています。あくまでもわたし個人の感想ですが、訳文が少し冗長に感じました。推敲してすっきりまとめたら、どこに出しても恥ずかしくない、すばらしい訳文になるでしょう。おめでとうございます。

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最終審査員として訳文を拝見するのが今回で3度目となりましたが、毎回、新人とは思えないほどすばらしいできばえの訳文に触れ、自分もまだまだ精進が必要だとの認識をあらたにしています。人に訳文を見ていただくのも勉強なら、ほかの方が訳したものを読むことも自分の糧になります。勉強中の皆さん、お仕事を始めたばかりの皆さん、謙虚に訳文に向かい、丁寧に読み、事実確認を怠らなければ、翻訳は一生を費やす価値のある仕事です。こちらが敬服するほどの名訳に出会えることを次回も楽しみにしております。

石原ゆかり審査員

JAT 新人翻訳者コンテストも今回で13回目となりました。私自身も今数えてみたら最終審査員として関わるようになってから記念すべき (!) 10回目のコンテストでした。応募者数も年々増えているとのこと、うれしい限りです。応募された方々、どうもありがとうございました。プロの翻訳者を本格的に目指していらっしゃる方もいれば、ちょっと腕試しにと気軽に応募された方もいらっしゃると思います。何事も実際にやってみないと分からないものですが、一つの作品・仕事をやり遂げた感想はいかがでしたしょうか。これを機に実務翻訳にますます関心を寄せていただければと思います。また、委員長を始め、一次および最終審査員の方々や事務処理に携わっている皆さま、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

さて、今回の課題文はソーシャルネットワークといじめという、昨今、新聞やテレビで見聞きすることの多い身近な内容でした。文章は平易で読みやすいうえ、語数も 281 語と例年に比べると断然短く、前回までは気後れして応募されなかった方も今回は「このぐらいならできるかも」と思って挑戦していただけたのではないでしょうか。それを反映してか最終選考に残った 5 作品はいずれもなかなかの高水準だったと思います。

特に 1 位の J69 さんの作品は大きな逸脱や訳抜けもなく丁寧に訳されていました。日本語の文章としてきちんと成り立っていて翻訳文にありがちなぎこちなさがなく読みやすかったです。特に原文の箇条書きの箇所では文調が一貫性に欠けているにもかかわらず、訳文ではそれに引きずられずに日本語文として違和感がないようにリズミカルに表現されていました。「ささいな」、「痛ましい」、「絶えず」、「おとしめる」など表現力の高さが光りました。

2 位の J29 さんの作品も自然な文章で、誤訳もなく良かったのですが、especially、boys が抜けていたのが残念でした。これらは文脈から明らかであり、不要であると思われたのかもしれません。実際の仕事で日本語だと冗長的になり、かえって意味がぼやけてしまうと判断される場合は省略することもないわけではありません。たとえば、the most well-known and most tragic cases は「もっともよく知られている痛ましいネット」というように 2 回目の most が省略されていますが、確かに「もっとも~もっとも~」と続くと、くどくて直訳調になってしまいます。でも、やはり原文に忠実に訳すことが基本ですので、たとえば 69 さんの作品のように「かつ」を入れるなどで most を 2 回続けても不自然にならずに原文に忠実に訳せます。著者が敢えてその言葉を使っているのかを考慮し、きちんと訳出することを心がけるようにしましょう。このほか「ネットいじめの加害者は~」は、やや直訳調であると感じました。日本語は「誰が~をする」という能動態よりも「~されている」、「~が起こっている」というように受動態の表現を使う方が自然に聞こえることがよくあります。

それ以外の 3 作品もさすが最終選考に残っただけあって良かったのですが、上位 2 作品に比べるともう少し改善が必要な点が多くありました。以下、作品番号順に簡単に感想を述べます。

J1 さんの作品は文章力が光ったものの、ところどころ訳抜けがありました。phenomenon、especially、significant other、without knowing who is behind them or what triggered them、いずれも抜けていることで、原文で使われているこれらの言葉の効果が失われてしまい、インパクトに欠けてしまっています。日本語で読みやすい文章にしようとする努力は大切ですが、あんまり端折りすぎないように、要約文になってしまうことがないように気を付けましょう。

J2 さんは、「蔓延」、「悪意に満ちた」など、ところどころ良い表現もありましたが、原文にない表現 (なりすまし) や訳抜け (small scale) があるのと、全体的に「こなれ感」に不足していました。

J53 さんの作品は、特に後半、「威嚇する」、「愚弄する」など、いかめしい (?) 言葉が使われているのが気になりました。こうした難しい言葉ほど意味や用法が正しいかどうか細心の注意が必要です。国語辞典で調べ、著者の意図や文脈に合っているかどうかをしっかり把握してから使いましょう。意外に普段使いこなしている簡単な言葉で表現した方が適切な場合もあることをお忘れなく。

今回のように短い文章の場合は翻訳文の完成度で差が出た気がします。ではどうやったら完成度を高められるのでしょうか。ポイントは、訳し始める前に原文を読み込むことと、訳文を作り込むことという 2 つの「込む」だと思います。つまり、丁寧さ、精度です。まず原文をよく読んで、この文章は何を誰に何のために伝えたくて書かれているのだろうか、という点に思いを馳せてみます。「著者の目線」に立つのです。そして内容や背景、言葉や表現の意味を正確に把握します。たとえば「texts, emails, or instant messages」のそれぞれの違いは何でしょうか。「Slate.com」とはどんなサイトでしょうか。「being intimate with」とは具体的にどんな様子を表しているのでしょうか。

そして原文を読み込めたら、次にそれを自分の言葉で表現します。選んだ言葉は意図を正しく表しているか、表現は日本語として自然か、同じ文体や言葉を繰り返していないか、一貫性があるか、「の」が何回も続いていないか、などいろいろ細部を吟味します。もしそうなっていたら、そうならないように別の表現に変えてみます。そうして工夫するうちに表現豊かな文章となるのです。一文で「の」が 3 回以上続いていたら要注意。「に関する」、「について」、など、別の表現を使うと「の」の重複が減るだけでなく、言葉同士の関係がより明らかになり読みやすい文章になります。能動態のかわりに受動態、助詞のかわりに接続詞、名詞のかわりに動詞、形容詞のかわりに副詞など、同じ意味でも違う品詞を使って表現するなど、テクニックを駆使して生き生きとした文章を目指しましょう。

このほか、個人的にちょっと気になった点をいくつか挙げます。

・敬称を付けるかどうか。敬称は実務翻訳では省略することが一般的です。また人名や企業名等の固有名詞はクライアントからの指定がない場合、もしくは広く一般に通用しているもの以外は英語のまま、もしくは英日併記が多いです。特に企業名の場合、日本で良く知られている企業名であっても内容によっては日本の法人名と区別する必要があるので要注意です。

・Classmate: アメリカの高校は学年全体を class と呼びます (class of '17 など)。これに対し、日本語の「クラス」は 1 クラス (小規模) のようなイメージがある気がするので、厳密には「同級生」の方がより正しいかもしれません。

・instant messages: 英米では携帯のメールは text、texting と言い (Text me later. I'll text you. など)、instant messages、instant messaging は Yahoo や Facebook、Skype といったメッセージサービス、どちらかというと PC やデスクトップのメッセージ機能に使います。Can you IM now? などと、業務中にメールより早く、もしくは気軽にコミュニケーションが取りたい場合、つまり instant の要素が重要な場合に使用されることが多いようです。

・significant other: 具体的には配偶者、恋人、いわゆる同棲・内縁関係にある相手方を指し、不倫関係にある人たちには使われず、「正式」なカップルに使うようです。この文章の文脈ではそれらを具体的に列挙する必要がない気がしますが、でも単に「パートナー」とすると「ビジネスパートナー」などの意味もあるので読者はピンとこないかもしれません。ここで使った「カップル」もなんとなく「正式」感が不足している気がします。やはり「恋人や配偶者」辺りが適当でしょうか。ちなみに原文の背景となっているアメリカでは結婚していないカップルは異性間でも多く、また同性愛者同士のカップルも多いのですが、州によって同性結婚ができる州、Civil Union にとどまっている州、婚姻が認められない州といろいろあります。このことからか最近は特に significant other の表現が頻繁に使用される気がします。パーティの招待状に「your significant other is welcome.」などと記載されていたりします。時代が変わり、社会の構造や人の関係や行動の形態も多様化します。時代の変化にいつも敏感で、かつ流行に振り回されず、時勢に合った正しい表現を使えるようにしたいものですね。

こうして講評を書くのも10 回となり、毎回同じようなことを言っているかもしれません。翻訳の基本として大事なことは同じなのでどうしても口酸っぱくなってしまいますが、でもそれにプラス何か新しい視点や情報をお伝えできるように心がけています。新人の方にとってもそうでない方にとっても、さらにレベルアップするためのお役に少しでも立っていれば幸いです。


藤村聖志審査員

新人翻訳者の皆様お疲れ様でした。石原様、安達様と並んでここ数年間新人翻訳者コンテスト最終審査員をやらせていただいていますが、皆さんよく勉強されているようで、年々訳文の質が上がってきているな、と感じました。個人的に今回のテーマには少し面喰いましたが、若い(?)皆さんにはタイムリーなテーマだったと思います。そんな中、審査員間で,being intimate withとhigh senior school boysをいかに訳出するかが話題になりました。どちらも、少し英語を勉強された方なら意味はとれると思います。しかし、このような比較的簡単な語句でも、全体の文脈・構成の中での位置付けによっていろいろな訳語がでてくるのが、翻訳の醍醐味であり、また、難しさでもあります。さっそく辞書を開いてbeing intimate withを調べている皆さんの姿が目に浮かびますが、問題は、辞書に出てきた訳例(定訳ではありません)をいかに本物の訳文に仕上げるかであって、それが皆さんの仕事です。私達の審査講評は単なる添削作業ではありません。ここは駄目、ここが上手だと云々するのは、いわば、成り行き上そう言わざるを得ないだけであって、本当は、もっと本質的な翻訳の姿勢を解っていただきたいとうのが、私達審査員の本音であると考えてください。では、前置きはこれくらいにして、個々人の講評に移りたいと思います。

J69
J69さんは、翻訳全体が丁寧で、かつ、直訳調を避けて分かりやすい訳文を作ろうとしている姿勢が伺えます。読みやすさの追求は訳漏れや過度の意訳につながりやすいものですが、そういった落とし穴もうまく避けています。はっきりいって、特にここを直してほしいという点は見当たりません。あえて言うなら、箇条書き一項目の三行目から四行目「クレメンティ氏と、ある男性の・・クレメンティ氏のルームメートが・・」の「クレメンティ氏」は省いたほうが良いと思います。この段落中に「クレメンティ氏」が三つ出てきますね。当事者関係をはっきりさせようとそうされたのだと思いますが、このうち上記の二つを省いても、それが曖昧になることはありません。日本語では主語の頻出が鼻につきます。志賀直哉の小説を読んだことがありますか。簡潔な和文の見本ですから、一度目を通されたら良いと思います。それともう一つ、J69さんがプロのレベルに近いのであえて言いますが、実際の仕事ではこのように綺麗な英文はめったにお目にかかれません。文法的な瑕疵があったり、内容的に不整合であったり、大抵、何らかの問題を含んでいます。原稿作成者が常に英文ライティングに長けた教養あるネイティブであるという思い込みは捨ててください。そのような時は、全体の構成や文脈から、原稿作成者が何を言いたいかを読み取る姿勢が大事になってきますし、そういった意味で、being intimate withを、単に「親密な」とはせず「性的な関係を示す」と訳されたのは、良く考えた上での選択だったと評価しています。これをずばり「性行為」とされている方もいますが、その場合一線を越えた行為を示唆してしまうので、断定しすぎかもしれません。昔「Bまでいった?Cまでいったの?」なんて言い方がありましたが、ここではBやCの段階が重要ではなく、男性同士がそれなりの関係であったことを言いたいので、being intimate withといった、ちょっとぼやかした言い方をしたのだと思います。

J29
J29さんも、良くまとまっていますね。ただ、こまかい点への配慮や周到さでJ69さんと差がついてしまいました。冒頭でもお話したhigh school senior boysですが、「高校3年数人」だと、boysを無視していますし、石原審査員、安達審査員からも指摘があることと思いますが、アメリカでも日本と同じく高校は3年までというのは単なる思い込みですね。J69さんは、ここを「高校の最上級生の男子生徒」としています。安達審査員の調査によると当該高校は4年制だそうですが、そこまで調べがつかなくとも、「最上級生」とした周到さは評価できます。それと、箇条書き1項目の「自殺を図りました」ですが、tried to kill himselfではなくcommitted suicideですから、「自殺しました」でいいのではないでしょうか。
J2
J2さんの訳文で一番気になったのは、箇条項4項目の、「なりすまし」です。わかり安いイメージを与えはしますが、こういう言葉を持ち出すと、必ずもう一回使いたくなります。その証拠に、「このなりすましでは」と、余計な表題を立てる羽目になっています。「嫌がらせをするのも・・一種です。このケースでは・・」などとしたほうがすっきりしませんか?読者に解りやすいイメージを与えたいがためにこういった表現を追加するのはよくあることですが、やむをえない場合以外使わないように注意しましょう。もう一つ、箇条項3項目の「複数で」ですが、「何人かで」「数人で」にした方がいいでしょう。重箱の隅をつつくようで恐縮ですが、私自身特許関係の仕事が多いこともあって、「複数」という表現に敏感になっています。特許明細等では「複数」はa plurality ofと表現することが推奨されており、二つ以上の数を示して、その上限はありません。つまり、「複数」とすれば抽象的に「一ではない」と言っているのと同じであって、10あるいは100以上の可能性もあるわけです。severalの具体的イメージとしては「何人かで」「数人で」が正確だし、「複数」の持つ学術用語的雰囲気を感じさせません。また、同じ段落での「ネットリンチ」も少し大袈裟ではないでしょうか。Cyber slammedのslamといえば、ドアをバタンと閉めるあの感じ、私の地元大阪弁で言うと「しばく」に近い言葉です。これに関してはJ69さんの「ネットたたき」が良いと思います。

J1
J1さんの訳文は、レポートとして見れば一級品です。原文の内容を簡潔に表現しリズムの良い日本文に仕上げています。ところが、過ぎたるは及ばざるがごとしという格言もあるように、何でもやり過ぎは禁物です。箇条項2項目の「例えば、脅迫的なメール・・する場合がある」では、significant otherが反映されていません。自分の訳文に惚れてしまったのかsignificant otherの意味が取れなかったのか、推し量るすべはありませんが、交際相手をしつこく監視するストーカーまがいの状況の描写であることを見逃しているふしがあります。最終項の「心当たりがないにもかかわらず」でも、思いきりはしょってしまいましたね。without knowing who is behind them or what triggered themは、J69さんのように、「誰の仕業なのか、また動機が何なのかは・・分かりません」ときちっと訳出するべきです。What wrong have I done?という気持ちは十分表現されているのですが、原文を生かす努力を怠ってはいけません。

J53
J53さんは、日本語表現をもう少し掘り下げて勉強するほうが良いみたいですね。箇条項1項目の「カメラで映像を撮影」は、撮影の対象について前文で言及していますから「カメラで撮影」で十分ですし、そもそも「撮影」という言葉自体に「映像を捉える」という意味が包含されています。2項目の「脅迫的な接触」は、threatening contactをそのまま置き換えたものですが、具体的なイメージが湧かない表現です。このcontactは、「連絡を取る」意味のcontactで、メールを送ったり電話をかけたりする行為を漠然と表しているのですね。threatening contact via text messagesですから、脅迫的なメールをしつこく送っている状況を想像して、噛み砕いて表現しなければなりません。3項目の「性経験の程度の詳細」も、報告書のような抽象的表現で、details on the girls’ level of “sexual experience”を直訳したものとはっきり分かります。直訳がすべて悪いとはいいませんが、「どの程度の性体験があるかについて」(J29)といった表現のほうがわかりやすいのは明らかです。辞書から持ってきた訳語に満足せず、自分の言葉で分かりやすく表現する工夫をしてください。4項目の「被害者を愚弄する」も、原文全体のテーマから考えると「嫌がらせ」「いじめ」がふさわしいといえます。tauntというのはあまり馴染みのない言葉で、辞書に「愚弄する」とあるのでそれを拝借したのかもしれませんが、Oxford dictionaryで調べてみると、a thing said in order to anger or wound a personと説明されています。「嫌がらせ」「いじめ」の意味も含まれているのですね。「愚弄する」は、非常にフォーマルな言い方で、少し古めかしい感じもします。しっかりした日本語で書かれた本をたくさん読んで、こういう大げさな日本語をどういう場面で使うのか、勉強するとよいでしょう。解釈は間違いなくできているのですから、頭の中にある原文の情報をいかに上手く日本語で表現するかが今後の課題ですね。ところで、私達が辞書に頼るのはやむ負えないことですが、辞書には必ず正解があると信じ込むのは危険です。まず、なるべく大きな辞書で調べて、納得がいかなければ、英英辞書を参照し、必ず単語の語義を文脈の中で生かすように努力する―こういった一連の努力を惜しまないでください。また、英文を読んでいて見慣れない単語を発見したのなら、それがどういう文脈中でどのように使われているかに注目してください。英単語は多かれ少なかれ基本語義からの広がりを持っていますから、面倒でも、派生的な意味まで目を通すようにしましょう。

皆さん、本当に原文に忠実な翻訳とは何でしょうか。英語と日本語を逐一照らし合わせて置き換える作業ではないことは、もうおわかりですよね。私達翻訳者の仕事は、原稿作成者の意図を組んでそれを再現する、いわば、裏方の作業であって、出しゃばった訳文を作成してはならないのはいうまでもありません。しかし、最終的に読者の目に触れるのは私達の訳文であり、その意味では表現者としての役目も担っているのです。はっきりいって、英語を完璧に日本語にコピーするのは無理な話です。英語原文を解釈した情報を日本語で正確に表現するのが私達の仕事であって、その日本語がいい加減では話になりません。「翻訳者の目線」の中で或るネイティブの方がおっしゃっていたのですが、日本文には記載されていても英文では省くべき語句があるそうです。皆さんも、実際に翻訳の仕事を始めたら、「この言葉はどこへ行ったの?」等と翻訳会社から質問される機会があるかもしれません。それが訳抜けであるのか、工夫した表現の結果であるのかは、皆さん次第です。でも、本当の翻訳者なら、良い訳文の為に追加・削除した(と思える)箇所があっても、それをきちっと説明できるはずです。そのためには、英語は英語で発想し日本語は日本語で考える二重の回路が必要です。つまり、英語っぽい日本語、日本語っぽい英語は駄目ということです。二重の回路を構築するには二重の努力が必要ですが、もの好き(?)にもこの道を目指しておられるのならなんてことはありませんよね。来年も期待しています。