作成: 古川智子(中日翻訳者)
2012年5月19日、講師に時國滋夫さん(特許・日英訳)と石川正志さん(金融・英日訳)をお迎えし「翻訳でメシは食えるか」(副題-これからの人に翻訳を仕事として勧められるか)と題する東京月例セミナーに参加しました。「今の時代、そもそも翻訳でメシは食えるのか」という根本的かつ切実な問題ということもあり、私のような非会員も含め100名を超える参加者が集まりました。重い深刻な話題にもかかわらず、時國さんの軽妙な司会ぶりで雰囲気は和やかなものでした。
お二方の論調で共通していたのは、「翻訳でメシは食えるか」も「これからの人に翻訳を仕事として勧められるか」も難しくなっていること、翻訳者自身がすべきことは翻訳品質の向上であることの2点です。
まず冒頭に、参加者全員の挙手回答によるアンケートがありました。数字は概数です。
・翻訳年数 していない:15%、~5年:20%、~10年:20%、10年以上:45%
・翻訳分野 金融:8%、特許:8%、他の特定分野:70%、いろいろ:14%
・主な収入源 翻訳:80%、その他:20%
・翻訳収入に対して 満足:15%、不満:40%
・これからの人に翻訳を仕事として勧められるか はい:15%、いいえ:45%
・翻訳品質の自己評価 上:20%、中:35%、下:5%
・主な取引先 翻訳会社:20%、最終顧客:15%、両者半々:20%
ベテランで取引先もしっかりあるが収入に満足していない参加者の方が多かったようです。
会場に日本人しかいなかったら、全員が「中」と答えただろうとの発言に笑いがこぼれました。
(今回の参加者は日本人が約40%)
そもそも、「食える」=生計が立てられるのはいくらになるか。
時國さんの基準「そこそこの家に住み、こぎれいな服を着て、子供を普通に養う」では約700万円。
一方で翻訳者の年収を石川さんは400万円~600万円と推定。
Terry Saitoさんのブログにある数字では、中央値は200万円~600万円です。
http://terrysaito.com/2012/03/18/
つまり、足りていないということになります。
石川さんは医師から事務職派遣社員までさまざまな年収の事例を紹介し、翻訳者の現在の収入は必要な能力、努力、労力に見合っているかと問題提起しました。
翻訳は非常に価値の高い仕事でありながら、翻訳者自身の収入に対する認識を変えるべきとのことでした。
見合っていない料金の仕事を引き受けてしまうから、相場も下がってしまうのではないかという話とセットです。
自身の翻訳分野で専門性を高めること、訳文の品質を維持向上すること、という提案はごく当たり前のことかもしれませんが、時國さんからは具体的な方法論も紹介がありました。
やればすぐにできること:訳抜け、スペルミスのチェック。訳抜けは意味の確認とは独立して行う方が効率的。
手間暇かければできること:用語を理解し、辞書を丁寧に引き、専門書を読み込むこと。
長年の蓄積が要ること:書くということそのもの。日英訳の場合3年ぐらいネイティブチェックを受けるべきとの話もありました。
もう一つの提案が、「自分の仕事を正当に評価してくれる客先を探す」営業です。時國さんの「他人が作ったものならむしろ売りやすい。自分が作った、作るものを売ろうとしたら、まずは最高品質でなければならない。少なくとも自分が最高品質だと信じられるものでなければ逆に売りにくい」との話には深く共感を覚えました。その最高品質とは、前段で説明されたように自分で磨いていくのです。
それでも、いわゆる営業は20社に問い合わせて1社が相手をしてくれるかどうかの世界。
参加者席にいた鈴木さん(金融翻訳)によると、「おかしな似非プライドは捨てたほうがいい。偉いのはお客様なのだから。営業は断られて当たり前、ぐらいで頭を下げていかないと、自分が持たない」とのことでした。
相手の予算がないからといって翻訳の品質を負けるわけにはいかないのだから、正当に高い品質のものを正当に買ってもらうべし、そのためには相応の努力も必要というお話と言ってしまうとあまりに当然のことかもしれません。
しかし当たり前のことを当たり前に通す正しさが求められるということではないでしょうか。