審査員講評 (英日部門)
安達眞弓
応募者のみなさん、お疲れさまでした。
原文を見て「うわ、難しそう!」と感じたら、ネットで参考資料を探し、読んでみるといいかもしれません。今回課題に選んだ「メキシコの壁」問題は、第1段落でも触れられていたとおり、かなりのメディアが記事にしています。1時間ぐらいネットで調べ物をしてから訳出に取り組むと、複雑な構文を誤訳せずに解釈できますし、適切な訳語も頭に浮かぶものです。
たとえば壁の画像を検索すると、イギリスのデイリーメール紙とインディペンデント紙の記事が見つかりました。
https://www.dailymail.co.uk/news/article-5007127/Border-wall-prototypes-competition-fulfill-Trump.html
https://www.independent.co.uk/life-style/design/trump-border-wall-prototypes-latest-news-design-contract-companies-win-worth-mexicans-us-illegal-a8046371.html
写真を見ると、上から下までまっすぐな板状の壁と、壁のてっぺんが丸くなっていたり、張り出していたりするデザインの壁があります。記事を読むと、6業者が8枚の壁を提出、うち2社が壁を2枚提出したということがわかります。原文がわかりにくければ、画像や動画からヒントをもらうといいでしょう。
【第1段落】
The prototypes range from 18 to 30-feet high.
試作品の壁の高さは18フィートから30フィートである。
シンプルな原文ですが、みなさん原文にない情報を付け足されています。シンプルすぎて不安になりましたか? しかし翻訳は原文第一です。訳抜けも駄目ですが訳しすぎも駄目。ファイナリストの中にも「と様々である」「それぞれ」と、語を補った方がいました。
日本ではメートル法が採用されているので、メートルに換算して「約XXメートル」とするか、メートル換算に原文のフィート表記を併記するか、どちらかに統一しましょう。この場合、かっこに入れるのはフィート表記にする方がいいと思います。もちろん実際のお仕事では、スタイルガイドに準拠してください。
【第2段落】
resiliency
形容詞のresilientをコウビルド英英辞典で引くと、第一義は「弾力性」ですが、第二義で「People and things that are resilient are able to recover easily and quickly from unpleasant or damaging events. 」と定義されています。課題文では、壁がもし破壊されてもすぐ復旧できることが重視される、と読めます。「強度」と訳された方が複数いましたが、どうでしょうか。第一義から「弾性」と訳された方、国語辞典で「弾性」を引いて、もう一度考えてみましょう。
penetrate
こちらもコウビルド英英辞典で調べました。「If something or someone penetrates a physical object or an area, they succeed in getting into it or passing through it.」日本語にするなら「貫通」や「突破」ですね。「壁を越える」と訳すと、壁をよじ上って越えると読めます。
evaluators will use power and hand tools
power (tools) and hand toolsと、toolsが省略されているのは頭でわかっても、さて日本語でしっくりくるのはどんな表現でしょう。最近、実際の仕事でよく目にするのは「電動および手工具」という訳。読む側の誤解をできるだけ排除するため「電動工具や手工具」にしませんか? hand toolは「手動の工具」でも構わないのですが、「手工具」とした方が、より原文の世界観に近づくと思います。
【第4段落】
Vitiello氏が述べた壁の検討ポイントをまとめました。1:aesthetics(外観、すなわち壁のデザイン。見た目の美しさなど)2:how penetrable they are, how resistant they are to tampering(突破しやすさはどうか、不正な加工への耐久性はあるか)3: and then scaling or anti-climb features(よじ上りやすいか、よじ上れないよう防止する機能が備わっているか)
まず「景観」と「外観」は違います。「景観」には観賞して美しいという意味が盛り込まれます。訳語の選択には気をつけましょう。
tamperの意味は取りにくかったようですね。Cambridge English Dictionaryの米語の語義に「to touch or make changes to something when you should not, especially when this is illegal: 」とあります。ひらたくいうと「国が建てた壁を勝手に壊すこと」ですね。
transnational criminal
ここも難しかったでしょうか。trans-という接頭語は「~にまたがる」という意味です。課題文でいうと「アメリカ~メキシコ」ですね。「国際犯罪者」と訳してしまうと、国境の壁を乗り越えて不法入国するというより、メキシコから複数の国家を渡り歩いて犯罪に手を染めているようにも読めます。著者がなぜtransnationalという語を「あえて」使ったのか。そこをもう少し考えるといいかもしれません。
【第7段落】
“vanishing time,” which is the distance between the border and the point at which an illegal border crosser could blend into the local populace.
vanishing timeの日本語での定訳はありませんが、その後に定義が書いてありますね。ここでの“distance”は、vanishing timeという時間を踏まえて、「越境者が入国先の人々の中に紛れてわからなくなるまでの時間」の隔たりであることがわかるよう訳すべきだと私は思います。distanceの時間的距離という定義はリーダーズ、ランダムハウス、プログレッシブ、英辞郎と、翻訳者が普段使う辞書にはすべて載っていました。ファイナリストの訳文でも、紛れて消失するまでの「距離」と読めるものが複数ありました。「じゃあ、何キロ逃げたら消失できるの?」という疑問を読者が抱きかねません。
【第8段落】
wall projects covering approximately 74 miles along the Rio Grande Valley, Texas, and San Diego borders with Mexico.
この部分の訳出は、ウォールストリートジャーナル日本語版サイトに掲載されている、以下の記事が参考になると思います。
「最大のフェンス設置効果が期待される場所 リオグランデバレー地区」以下:https://jp.wsj.com/articles/SB11885338817628184768404583056083132571000
フェンスが設置されているのはアメリカ・メキシコ国境全域ではなく、テキサス州リオグランデバレー地区とカリフォルニア州サンディエゴ地区に集中しているのがわかります。原文も両地区をandで結んでいるので、「テキサス州リオグランデバレー地区とカリフォルニア州サンディエゴ地区での壁建設プロジェクト」です。ここを「~から~まで」と訳すと大変なことになります。
おわりに
今回の課題文は、ネットでかなりの情報が得られるトピックであるのを好感して選びました。たとえ英語で書かれていても、課題文とは違った切り口の文章を読み、画像で実際の壁を確認し、誤訳や誤解釈を修正して応募できるようにと配慮したつもりでしたが、残念ながらその域に達している方は限られていたと感じます。
この1~2年でAI翻訳や機械翻訳の精度が著しく上がっています。翻訳者としてのキャリアを形成するには、これまで以上に基本の積み重ねが求められるでしょう。実務翻訳界は原文の専門性が高い文書の翻訳、辞書を引いただけでは日本語にできないハイコンテクストな文章の翻訳といったものと、機械翻訳やそれに準じる翻訳との二極分化が進むだろうという意見を耳にしますが、私もそう思います。英語を日本語に置き換える作業だけなら機械でもできる時代です。辞書を引くときは意味を吟味する。andやorなどの接続詞をおろそかにしない。わからなければネットで情報にあたる。できているようでできていないものです。
JAT新人翻訳者コンテストへの挑戦を機会に、ひとりでも多くの新人翻訳者・翻訳学習者が原文と寄り添い、原文の世界観が正確に伝わる訳文作りができるようにと願ってやみません。
石原ゆかり
今回もJAT新人翻訳コンテスト英日部門に多数の方より力作をお寄せいただきました。ありがとうございます。高度な英語を理解できる人が増え、インターネット・ブラウザ、アプリなどの翻訳機能を使って誰でもすぐに「翻訳」できるようになってきた中で、プロの翻訳者を目指す人たちがまだまだ多数いて、大変うれしく思います。
最終選考に選ばれた5作品はどれも力作でした。次の3つの点で力が付けば、プロの翻訳者として活躍する日も近くなると思いますので、どうぞ参考にしてください。
まず、1つ目はコンテキスト(背景、文脈)の理解です。課題文のテーマは、何かと話題となる米国トランプ大統領の選挙公約の1つ、米国・メキシコ間の国境に建設しようとしている壁についてでした。この政策の是非や壁の有効性はともかく、米国・メキシコ間の国境の問題は複雑かつ深刻で、根本的な解決が求められています。麻薬や武器の密売や人身売買などの国境を越えた犯罪の場となっており、また、中南米の国々から様々な理由で「自由の地・米国」を目指して多数の人が国境を越えようとします。ここ数年、何十日もかけて幼い子も含め大勢の人が徒歩で歩いてきて、国境付近の施設でひたすら入国許可を待つ様子や、エレベーターまで備えたトンネルを掘って行き来していた麻薬王「エル・チャポ」の逮捕といった報道もあります。私も、違法入国して強制送還された親と米国生まれの子供が鉄網のフェンス越しに涙で面会している様子をテレビで観て心が痛んだものです。
今回、こうした背景に関する知識、つまりコンテキストを理解しているかどうかで、翻訳に違いが出ていました。そもそも、なぜ壁なのか。試作品を作る理由は。壁を越えようする人たちの動機や手段は。どこに作るのか。CBPとは。Border Patrol(国境警備隊)の仕事は。どのような設計が効果的なのか。そうしたことを踏まえて各社が試作品を作った…。そうしてイメージが掴めれば、的確な表現が浮かんできます。まずは、この課題文の冒頭のURLを使って、CBPのホームページで見てみましょう。最初のページに大きな試作品がそびえ立っている写真がありますね。こんな大きな壁なら脅威に感じて「to deter illegal border crossings」、つまり、不法な越境をしようという気も抑制されてしまうことでしょう。最終選考に残った作品はこの部分、概ねきちんと訳されていました。でも、J40は「という考えを阻止」と、もう1つ踏み込んで分かりやすい表現にしようとする姿勢は好感が持てたものの、ちょっとゴツゴツ感がありました。日本語の「抑止」という言葉自体に「ある行動を思いとどまらせること」という意味があるので、ここは単に「不法な越境を抑止」とした方がすっきりします。辞書などで出てきた訳語の意味を調べたり、類語を調べたりして日本語の語彙力を付けると表現力が付きます。
このほか、壁、トランプ政権の移民政策、米国・メキシコ国境、不法入国、強制送還、などインターネットなどで英語だけでなく日本語の記事や画像も見てみましょう。かなりの情報が得られるはずです。安達審査員長の講評で紹介されている記事はそのものずばりでしたね。CBPは米国の国境警備局として、米国への不法入国を阻止するための手段を模索しており、壁の試作品を評価する。不法侵入を企てる者は、犯罪者もいれば、家族と一緒になるため、祖国からの迫害を逃れているなど差し迫った事情の者もいる。たとえば、自分がどうしても国境を越えなければならず、壁を壊すとなればどんな手段を使うだろうか…。私なら、金槌や電動ドリルを使ったりするでしょうね(power and hand tools)。想像力を働かせれば、「CBP evaluators will use power and hand tools and methods criminals and those trying to slip through the border may use to penetrate the wall」や、「These prototypes will serve two important ends: to deter illegal border crossings and to allow CBP to evaluate the new wall designs for improvements in denying or impeding illegal entry.」、「We look at things like aesthetics, how penetrable they are, how resistant they are to tampering and then scaling or anti-climb features,」のあたり、原文をより理解でき、適切な日本語の表現が浮かんでくるのではないでしょうか。
2つ目の点は原文を素直に理解して訳すことです。直訳ということではなくて、原文にない意味を付け足したり、原文で書いてあることを省略したりしてはいけない、ということです。「garnered coverage」は「駆けつける」、「注目を集める」、というのは原文にはなく、単に「報道陣を集める」という意味です。また、この文章はCBPという政府機関のホームページに載っていることを踏まえ、なるべく客観的な表現に抑えると良いでしょう。「Six vendors will construct the eight prototypes, with two companies building examples of both.」は、直訳すると「6社が8つの試作品を製作し、そのうち2社が両方の例を作成する」ということで、「both」を「両方」とするのは良いのですが、ではいったい、何の両方?と疑問に感じられた方もいるでしょう。J67は「6社の企業が8つの試作品を建設し、そのうち2社はコンクリートとそれ以外の材料の両方で試作を行いました。」としていましたが、最初の方の段落の内容を受けてのことだと推測します。このように前後の内容を考えることは大切ですが、原文にはないし、実際にコンクリート製とそれ以外の材料の両方なのかどうか定かではないので、誤訳、すなわち誤った情報を提供することになりかねません。特に実務翻訳では正確性が重要なので、原文が曖昧であったり、原文自体に誤りがあったりしても、基本的に翻訳者はそのまま訳さなければなりません。ここは「両方」とするのがはばかれるのであれば「2つ」とし、原文の読者同様、翻訳文の読者の理解にゆだねるのが適切です。ここが一般に翻訳と思われているものと、実務翻訳の違うところかもしれません。翻訳とは行間まで読んで全体の内容をとらえる、つまり訳す人の解釈が大きいと誤解されているかもしれませんが、実務翻訳は1語1語、1文1文正確に意味を取り、自然な日本語にする作業、つまり読者が理解しやすい日本語にして内容を解釈するのを手伝う作業なのです。
不要や誤った付け足しもいけませんが、訳抜けにも気を付けましょう。「These prototypes will serve two important ends: to deter illegal border crossings and to allow CBP to evaluate the new wall designs for improvements in denying or impeding illegal entry.」をJ24は「これらの試作品は、不法越境の抑止、及びさらに効果的な不法越境拒否や阻止を実施するためのCBPによる壁設計評価に役立つ。」と、まとめていましたが、「These prototypes will serve two important ends」が訳されていません。原文で「これらの試作品は2つの重要な目的がある」ということを最初に強調しているので訳文でもきちんと訳出しましょう。
3つ目の点は日本語の表現力です。読者は翻訳文としてではなく日本語の文章として読むことを常に意識してください。何度も読み返さないと頭に入らない文章では読む気が萎えてしまったり、表現の仕方によっては原文と違った意味になったりします。たとえば「The border wall supports impedance and denial.」。そのまま直訳すると「国境の壁では阻害や拒否が支持される」となりますが、何のことやら、と意味が良くわかりませんよね。訳文を読んでみて、分かりやすい文章にする作業が必要になります。「support」を「国境の壁は阻害と拒否に有効である。」(J40)、「国境の壁は、阻止・防止活動の一端を担っている。」(J51)、「国境の壁は不法な越境に対する抑止と拒絶の役割を担います。」(J67)、「国境の壁は不法越境の阻止や拒否に役立つが、」(J24)、と、だいたいうまく言い換えていました。でも、「阻害と拒否に有効である」は少々分かりづらく、「活動の一端を担っている。」は、言い過ぎの感があります。「に対する抑止と拒絶の役割を担います。」、「不法越境の阻止や拒否に役立つが、」は分かりやすくなってきましたが、「不法入国を妨害して遅らせ、阻止する効果があります。」は、日本語の文としてより自然だと思います。原文を読んで理解した内容を、最初から日本語で、自分の言葉で言い換えてみてください。
このほか気になった点を2、3挙げます。
「This system creates an enforcement zone, within which agents are able to safely patrol and maximize impedance and denial created by the border infrastructure.」では、「, within which」を「enforcement zone」の修飾とし、「~できる地域が生まれる」というように訳した作品がありましたが、ここは「このシステムによって法執行区域が生まれる」と頭から訳していき、「その中で~が可能になる」というように訳す方が自然でしょう。
「requirements」は「必要条件」(J51)、「運用基準」(J51)、「要求」(J67、J70))とありますが、このような内容だと「要件」(J24)が一般的なようです。
「approximately 74 miles along the Rio Grande Valley, Texas, and San Diego borders with Mexico.」は、まず、Rio Grande Valley、San Diegoの位置を確認しましょう。Rio Grande Valleyはテキサス州にあり、San Diegoはカリフォルニア州です。この2つの州の間にアリゾナ州とニューメキシコ州があり、かなり離れているので、「~から~まで」と結んでしまうと、74 milesではちょっと短いですね。「and」だけで「between」はないし、「from~to」ではないので、ここは単に並列であると理解できます。原文を忠実に読み、背景を理解することで正確な訳となります。
近年、英日翻訳者の仕事事情は厳しくなってきています。機械に負けず、さまざまなレベルのたくさんの翻訳者の中から抜き出るには、常に良質な翻訳文を書けなければなりません。では良質な翻訳文とは何でしょう。そして、それを実現するためにはどうやって勉強したら良いでしょうか。私は、良質な翻訳文とは読者が読んでいて負担を感じずに文章の内容を的確に理解し、それに基づいて、感動したり、返事をしたり、意見を持ったり、新しい発明につながったり、商談が成立したり、など、何らかの行動にすみやかにつなげるものであると思います。誤訳があれば誤解につながり、またその分野に適さない用語が使われていたら、原文や作者に対する不信につながったりもします。翻訳者個人の意見や嗜好は出さず、原文の作者の忠実なメッセンジャーとならなければならないのです。実務翻訳者の腕の違いは「読者が読んでいて負担を感じない」、つまり、正確で自然な文章を書けることなのです。
では、どうしたらその技術を身に着けられるのでしょうか。答えは、さまざまな分野の英文をたくさん読んで読解力をつける、さまざまな分野の日本語文をたくさん読んで表現力をつける、そしてリサーチ力をつけることだと思います。そして、1に練習、2に練習。頭の中で1、2段落を訳してみるのも良いですが、やはり、数ページのまとまった文章を翻訳して書いてみる。そして、それを何度も推敲する。人に読んでもらう、できれば翻訳や英語に詳しくない人に読んでもらい、内容がわかるかどうか聞いてみる、ことです。--そうです。JATの新人翻訳コンテストに応募することがプロへの道につながるのです!また次回も多数の力作、お待ちしています。
藤村聖志(Part 2)