藤村聖志 

今回の課題ですが、皆さん内容は比較的よく理解されていて、誤訳があまり見つかりませんでした。そこで、訳文としての完成度を問うことになるのですが、和文として破綻した表現もあまり見つからず、全体的に翻訳技量のレベルが上がっていると感じました。
 ただ、今回の課題に関し、一つだけ考えていただきたいことがあります。例えば、冒頭のWorried about biodiversity loss?やit feeds us、第4段落のWe have a lot of mouth to feed等は訳し易かったでしょうか?英文自体の難易度は高校生でも意味が取れるレベルですが、意外と苦労されたのではないでしょうか?皆さんの訳を見ると、よく文脈やテーマを考慮して理解度の深い訳を示されているものの、総じて、説明調になったり、書き過ぎになったりしています。著者がわざわざ単純な文型を使ってぶつ切りの文を書いているのは、その効果を期待しているのであって、それをだらだらと説明してしまったら著者の意図を削ぐことになってしまいます。翻訳技量がある程度のレベルに達したら、このような記述スタイルまでも訳文に反映させることを目指してほしいと思います。一つだけ例を挙げますと、第4段落のSuccess breeds its own problems.を、J56が「成功は同時に問題を生み出します」とうまく訳しています。これを、今回の優勝者であるJ79の「人類は繁栄を遂げてきましたが、それに伴い新たな問題も発生しました」と比較しますと、後者が書き過ぎであるのは明白です。多分J79もJ56のような訳が書ける実力はあると思いますが、文脈を意識するあまり、説明調になってしまったのだと推察します。「Success」という形、つまり無冠詞で始まったら、特殊な(食料システムの)成功例ではなく、一般的な「成功」に言及していることを意識すべきであって、訳文も、原文に合わせてあっさりとした口調に仕上げるべきですね。なかなか難しいですが、「翻訳」の役目を究極まで問い詰めると、このような姿勢も必要になります。翻訳者が素晴らしい文章を書くのはもちろん望ましいのですが、あくまで著者の影としての輝きであって、著者の意図に反した説明や装飾は憚らなければなりません。では、それぞれの訳文の講評に移りたいと思います。

J79
J79さんは、原文の理解度が深く、論理の破綻や誤訳もありません。訳語の選択も慎重で、全体的に安定した訳文で、総合的に欠点が少ないという理由で一位としました。一つだけ言わせてもらうと、冒頭にも触れましたが、第4段落のSuccess breeds its own problems.を「人類は繁栄を遂げてきましたが、それに伴い新たな問題も発生しました」という風に訳すのは、少し冗長であり、原文のスタイルを無視した形になっています。ここでは一般的に「成功の代償として問題が発生する」ことを言いたいのであって、わざわざ文脈に沿って説明する必要はありません。それに続くWe have a lot of mouth to feedも「増加した人口に見合う膨大な食料・・約半数にも上っています」として、Around 50% of..以下とまとめて訳していますが、We have a lot of mouth to feedを「現在、膨大な数の人々の食料を確保する必要があります」等として1文とし、「その結果、地球上の居住可能地のうち・・」と続けてはどうでしょうか。J79さんの訳文はロジックが明晰で読者にとっては親切な訳文なのですが、なるべく短文は短文で、長文は長文で訳してみる工夫もすれば、もう一段階レベルアップすると思います。

J71
J71さんも原文の理解度が深く誤訳が見当たらないのに加えて、読みやすくしようという工夫が見受けられます。それは良いのですが、良い訳文を書こうとするりきみが出ている部分も見受けられます。冒頭の5行ですが、「・・案じていますか」「・・気になりますか」等、worried aboutに5つの異なった訳を当てていますが、これは必要でしょうか?少なくとも、こうすることによって訳文の質が向上したでしょうか?私は、むしろ、雑音を加えたように感じました。著者がわざわざ同じ言葉を用いているのは繰り返しによる強調効果を期待しているのであって、素直に、一番ストレートな表現「心配ですか」で良いと思います。場合によってはあえて同じ言葉に別々の訳を当てることもあるかもしれませんが、慎重になるべきだと思います。また、第2段落の下から3行目から最下行のAt this point …−a population dwarfed by … wild animalsのくだりを「当時は野生動物が・・大変小さく見えます」と後ろから訳していますが、著者がわざわざダッシュを使って−a population dwarfed by …を後ろに持ってきているので、この思考の流れに沿って前から訳して欲しかったですね。ここはJ79さんがうまく訳しています。また「個体数」など大層な言葉を使わずとも、「野生動物が非常に多かったため・・人間の数は微々たるものでした」くらいで良いのではないですか。J71さんについては、これ以外特に言いたいことはありません。J79さんと同様ある程度実力がある方なので、技巧に走る気持ちを抑えれば大きな失敗はしないと思います。

J67
J67さんも全体的によくできているのですが、誤訳に近い部分が二つあります。まず、第3段落のThe animals we keep…weighs almost as much as…planet put togetherの部分で、「・・動物の重量は・・重量に匹敵する・・」となっていますが、これは「重量」ではなく、「生物量」ですね。図1.2を見てもわかるように、「重量」に換算した「生物量」ということです。第3段落でbiomass(生物量、バイオマス)という言葉が出ていますので、「生物量」で語らなければなりません。私見ですが、weighsを使ったのは、今や「ペットや娯楽のための動物が野生哺乳動物や野鳥と同じくらい大事にされている(weighs)・・」という皮肉をこめているような気がします。同じく、第4段落の「・・食用に飼育されている動物の総重量は・・合計した重量の・・」も、「・・食用に飼育されている動物の総生物量は・・合計した生物量の・・」ですね。課題文のテーマと文脈を検討し、その整合性を保つことが必要です。あとは、第2段落の「食料の栽培、飼育・・」が少し不自然で、「食料となる作物・家畜の栽培・飼育」とすれば良いと思います。今回の課題文にあるweighsの使い方は辞書等で類似例を見つけるのが難しいかもしれんが、実際の翻訳現場ではこれが当たり前だと考えてください。余談になりますが、実務翻訳案件では本課題文のような綺麗な英文はむしろ稀であって、実際は、様々な癖のある英文に対処することになります。

J88
J88さんは、なかなか思い切った訳文を書きますね。冒頭の「鍵は食料」、第2段落の「・・霞んで見えます」等は成功例と言えるでしょう。しかし、第1段落最後の「歴史上かつてない規模の人類への。」や第4段落最初の「食べる口を抱えすぎた」は感心できません。前者では、原文のスタイルに合わせようとする努力は認めますが、「歴史上かつてない規模の人類への。」といったような未完成な文体は、よほどの特殊な効果を意図する場合以外は使わない方が賢明だと思います。どうしても不安定感というか、違和感が拭えません。また、後者の「食べる口を抱えすぎた」は、何故か一転して稚拙な直訳になっています。We have a lot of mouths to feedは、子供の多い家庭のお父さんなんかが「食い扶持が多くてね」などとぼやく感じですので、「食料供給対象、つまり人間が増えすぎたのです」と分かり易く言った方が良いですね。また、第3段落の「重量で比較すれば」は、J67さんの場合と同じく、「生物量で比較すれば」としてください。また、第4段落の「‥数々の問題が育まれています」も少し不自然です。「問題を育む」とは言いませんので、「・・問題が生まれています」とすべきです。この場合のbreedsはgives rise toやdevelopsに近い意味で、breeds=育むと思い込む必要はありません。良い訳もある反面、少し荒っぽい部分も見受けられますので、まず、平均して安定した訳文を作成できるように研鑽されることお勧めします。

J56
J56さんは全体的によくできていると思います。少なくとも原文の内容は完全に理解しており、意味を取り違えた誤訳はありません。実は、最初はJ56さんを次点くらいに推しても良いのではないかと思っていました。しかし、他の審査員の方々と検討した結果、「バイオマス」や「メガファウナ」が減点対象となりました。私も最初は「バイオマス」でも良いのではないかと他の審査員の方々に確認したのですが、やはりエネルギーとしての「バイオマス」のイメージが強いようで、本課題で取り上げている「生物の現存量」つまり「生物量」が適訳となりました。この「生物量」は、太陽、光合成、二酸化炭素等の環境要素がある限り再生可能な生物資源であって、「バイオマス」と同じくらい聞きなれない言葉かもしれませんが、課題全体の論旨を考慮すれば、「生物の現存量」がメインテーマであるのは明白であり、やはり「生物量」とした方が読者に伝わるでしょう。もう一方の「メガファウナ」は、そのまま使わない方がよかったですね。「メガファウナ(大型野生動物)」とされているので私は減点対象とはしませんでしたが、第2段落の最後で「巨大な野生動物」と書かれているのは、「メガファウナ」を意識した結果でしょうか?ここはthe multitude of wild animalsが対応する部分ですので、間違いですね。また、A population dwarfed by…と言っていますので、「野生動物のバイオマスと比較すれば」というよりは「多数の(the multitude of」野生動物と比較すれば」とすべきでした。ちなみに「メガファウナ」が大型野生動物と言っても、「20㎜以上の土壌生物」等と定義されていますので、「巨大な」とはいえません。それと、「図1」は「図1.1」のことですよね。第3段落冒頭で「・・図1.2は現在の状況・・」と書いているのだからもっと注意すべきでしたね。こういうのは、技術系文書の仕事では致命的なミスになります。最後に、第1段落の「なら、食料に目を向けましょう」ですが、「なら」は必要ないのでは?これを好意的に受け取る審査員の方もいらっしゃいますが、私には目障りで気になります。原文が省略形なので、訳文もできる限り簡潔に書いて欲しいと思います。

J27
J27さんも全体の文意は掴めていますが、第3段落のThe animals we keep…weighs almost as much as…planet put togetherの部分で、「・・動物の重量(緑の円)は・・重量と同等である・・」となっています。J67さんへの講評で述べたとおり、この「重量」は「生物量」です。さて、J27さんには、癖というか、ある好ましくない傾向があるように思います。例えば、第1段落の「少し立ち止まって」、第3段落の「人類の増加と野生動物の減少により」、第4段落の「人類の」(文頭)、「それは」、「私たち」、「ということである」、「そして」等は、すべて余計に付け足した言葉、つまり、訳文における「贅肉」です。特に、「人類の増加と野生動物の減少により」は恣意的に付加された文と見なされても文句が言えません。どうしても文の繋がりがぎくしゃくして気持ちが悪い場合は、最低限の接続詞や移行句を使うにとどめ、訳文が太りすぎないように推敲を重ねるべきです。例えば、第4段落の「人類の・・・ということである」は、「成功には課題も伴う。今や、人類が多くの食料を必要としている。」で、十分だと思います。何か言葉を付け足したくなる気持ちは翻訳者として分からなくもないのですが、そういう気持ちが起こるたびに、本当に必要なのか疑うべきです。自分にそういう癖があると気が付いたなら、出来上がった訳文を徹底的に削る作業を怠らないようにしてください。

J18
J18さんも、原文解釈という点では上位の方と大差はありません。ただ、良い訳もある反面、ところどころ稚拙な訳というか、勢いで書いて推敲していないような部分が見受けられます。まず、第3段落のThe animals we keep…weighs almost as much as…planet put togetherの部分で、「・・ために飼っている動物は・・生物量とほぼ同じ重量になっている」は、文自体の整合性に問題があると思いませんか?この訳文を読むと、「生物量」と「重量」を比べて「ほぼ同じ」と言っているように取れます。これは「・・ために飼っている動物の生物量は・・生物量とほぼ同じになっている」とすべきですね。ついで、第1段落の「・・このシステムのおかげで・・何十億もの人間が食べていける」は、何か、システムが人間の収入源のような口調ですが、ここは、「食料システムは、何十億もの人間を支えている」等と、原文の思考の流れに沿った訳にするよう心掛けましょう。次の「・・その恩恵にあずかっているのである」も大仰な表現になっていますが、「かつてないほどの多くの人間に食料を供給しているのである。」と、食料システムを主語にした流れで訳すと、一貫性が出ます。次いで、第2段落の「人間が自分たちの食料を自分たちの手で・・」は「人間が食料を自分たちの手で・・」と簡潔に書けますが、ここら辺が推敲不足を疑う理由です。また、第4段落の「・・家畜の牧草地や家畜のための食料生産地として・・」も「・・家畜の牧草地や餌の生産地として・・」で十分でしょう。同じ言葉が続けて2回出てきたら一つ削れないか検討するべきです。J27さんは、翻訳技量という点で他の方々と比べて見劣りするというわけでもないので、十分に推敲して、上手な訳というよりも無駄な言葉のない簡潔な訳作りを心がければよいと思います。

 今回は、ファイナリスト全員が原文をよく理解していたと思います。それでも、わずかなこころ遣いや工夫、推敲の熱心さ等の違いにより、最終的に差がついてしまうのですね。こころ遣いというのは、原文のスタイルまでも反映しようとする態度を含みます。もちろん、英語と日本語の構造的差異を考えれば無理な注文ともいえるのですが、ある程度の翻訳技量があれば、そういう離れ技もできるようになると思います。上手な言い回しや華麗な文が書ければ嬉しいものですが、まず無駄な付け足しのない簡潔な訳文を目指すことがより肝要であることを忘れないでください。最後に、ChatGPT等のAIツールが進化する中、翻訳に対する関心も薄れているのではないかと思っていましたが、7名ものファイナリストの作品を講評できたことを嬉しく思います。去年もエントリーされた方もいらっしゃり、地道に勉強されているなあと、感心しました。今後のご健闘を祈ります。