安達眞弓審査員
第22回JAT新人翻訳者コンテストも無事終了しました。ご参加いただいたみなさん、お疲れ様でした。英日部門では今年、化石をオークションにかけることの是非について論じた文章を課題に選びました。現実の社会でも、博物館や美術館に収入目標を定めることへの是非をめぐる議論が活発化し、いろいろな意味でタイムリーな内容となりました。
では、この記事を大きく5つに分けて検討していきましょう。
《冒頭(scientific accessibility.まで)》
今回のテーマは恐竜ですから、恐竜についての用語を確認できるソースを探します。まず頭に浮かぶのが、福井県立恐竜博物館。こちらの「標本データベース」が役に立ちます。では、A juvenile Ceratosaurus ケラトサウルスの「juvenile」とは? ファイナリストに残ったほとんどの方が「幼体」という訳語にたどり着けていました。
標本データベース:https://www.dinosaur.pref.fukui.jp/dino/database/index.php?id=class&e1=1
次はオークションについての基礎知識。「オークション用語集」というサイトがいくつか見つかります。「ヤフオク!」など、オークションの取引サイトを実際に見て回るのもいいでしょう。sold at auctionとは「オークション(競売)にかけられて落札された」と解釈します。
ドルといっても、台湾、シンガポール、オーストラリア、ニュージーランドとさまざま。原文で「US$」としているのですから、「米ドル」と正確に表記する気遣いも必要です。円換算の値を併記するかについては、今回、審査員の間でも議論になりました。昨今のドル円相場は変動が著しく、あえて円換算しないという選択も忘れてはいけないでしょう。ただ、こうした判断は翻訳を依頼した側の意見を尊重するべきなのはいうまでもありません。
nicknamed の解釈も気になりました。素直に「~の愛称で知られる」という訳でいいと思いました。「名付けられた」という訳はどうでしょうか。恐竜の場合、ラテン語の学名が正式名称で、呼びやすい「愛称」で呼ばれているのですよね。「名付ける」イコール「学名」ではないかと誤解をまねくおそれがあります。
permanent scientific accessibility はどう解釈されましたか。できれば「~的」を使わずに訳したいところです。J53の「科学研究のために将来にわたって利用できるかどうかだ。」が、すっきりとしてわかりやすいと感じました。
《Science versus ownership》
科学と所有が対比関係にある。日本語で読んですっと頭に入る訳語を選びたいものです。たとえば「科学への貢献を選ぶか、私利私欲を選ぶか」など。
Paleontologists are historians of deep time, studying life through millions of years.
この文脈で「millions of years」とは、どれぐらいのスパンを表すでしょうか。ここで最初の段落に立ち返り、恐竜が生息していた年代を確認しましょう。福井県立恐竜博物館のサイトがまたしても役に立ちます。
〈引用〉恐竜・古生物 Q&A:恐竜が生きていた時代の名前は?
「(略)最初の恐竜が現われたのは、今から2億3千万年ほど前、三畳紀の後半です。恐竜は出現してから1億6000万年近くもの長い間に栄えていましたが、白亜紀の末、今からおよそ6600万年前にほとんどが絶滅してしまい、鳥類のグループだけが現在まで生き残りました。」〈引用〉
https://www.dinosaur.pref.fukui.jp/dino/faq/r02015.html
単語の表層的な意味だけを拾って「数百万年」と訳すことのリスクがおわかりいただけるかと。英語の「million」は1,000,0000から999,999,999まで、日本語の「百万」は1,000,000から9,999,999まで。こんなに違うのです。
deep timeとは、時間を地質学のスパンでとらえ、人間の出現から現在にいたるまでの時間とは比較にならないほど長い、太古から続く時代軸を指しています。この意味をひとことで言い表せる言葉は日本語には見当たらず、カタカナで「ディープタイム」とするケースが多いようです。落合陽一氏は「深い時間」と訳しています。みなさん理解しやすいよう工夫して意訳されているのを好感しました。
また、この文脈でreplicableは「再現性がある」と「複製可能」のどちらも当てはまります。博物館でpermanent collectionsなら、「常設展示」と訳すのが適切でしょう。
参考
https://note.com/ochyai/n/n1b6b52ab7085
https://u-moa.jp/etc/english.html
https://lsm-ichihara.jp/en/collection/
《Perpetual access》
Leading scientific journals won’t publish research based on them~
課題文の当該部分に張ってあるリンク先には「Articles based wholly or in part on specimens held in personal collections will not be considered for publication.」とあります。ここでのthemは代名詞のまま残さず「個人所有の化石」と、theyが指し示す対象を述べると、読み手にとって親切な訳文になるでしょう。
Perpetual、permanentなaccessとは。
perpetualは、利用する側が必要なとき、その都度利用できる状態がいつまでも続いていること(需要側の視点)。permanentは利用できる環境をいつまでも存続させること(供給側の視点)だと考えました。J53の訳は、この需要と供給の関係を簡潔に説明できているところを好感しました。
Perpetualを「恒久的」、Permanentを「永続的」と訳した方へ。「恒久的」と「永続的」の違いを国語辞典で確認されたでしょうか。「英和辞典に書いてあったから」というのは英文解釈、今でいうならAI翻訳のレベルです。解釈に人知が加わることで「人による翻訳」になることを忘れないでください。
国語辞典で確認してみましょう。
恒久的:ずっと長く変わらないさま
永続的: 物事がながく絶えることなく続くさま
[日本国語大辞典]
《Professional standards matter 》
paint-by-numbers kitsとは、振ってある番号どおりに色を塗れば完成する塗り絵キットのことです。「素人が塗り絵キットで描いた絵」と訳された方がいらっしゃいましたが、塗る色を番号で指定しているから、プロが塗っても素人が塗っても同じクオリティで仕上がるのでは? 日本語訳で「素人」を足すのは、著者の主張を超えた、訳者の主観が出てしまっています。 paint-by-numbers kitsのイメージがつかめなければ、動画検索で確認することをおすすめします。最近はショート動画がたくさんあるので、確認に要する時間が短縮されました。
参考:https://www.instagram.com/reels/DLShwjHvTEP
《Funding the future》
Science should not be for sale:ファイナリスト全員が「売り物であってはならない」と訳されました。あらためてsaleを辞書で引いてみましょう。「競売」という意味もあります。「科学研究を競売にかけるようなことがあってはならない」という解釈にすると、最終トピックとして引き締まりませんか? もちろん「売り物」と訳しても、決して間違いではありません。
it can make a transformative difference:「transformative」をどう訳すか、苦心のあとがうかがえました。日本語としておさまりが良くないなぁと思ったら、英英辞典の語義からヒントをもらうのもひとつの手です。
to alter or be altered radically in form, function, etc.(Collins)
causing a major change to something or someone, especially in a way that makes it or them better(Cambridge)
「古生物学界をいい方向に変えていく」と意訳してもいいかもしれません。
《最後に》
ファイナリストのみなさんは今年も難しい原文をしっかりと理解し、工夫をこらした訳文を送ってくださいました。その中でもJ53は日本語の表現が頭ひとつ抜き出ており、満場一致で1位となりました。2位のJ85は日本語のセンスを好感しましたが、主観を交えず、原文が伝えようとする情報をそのまま訳文にするよう心がけてください。あと一歩です。
AIの普及により、そこそこの水準の翻訳が瞬時に出力されるようになり、翻訳者にとって受難の時代を迎えました。辞書を丹念に引き、原文に忠実でありながら直訳にはない良さを伝える。こうした翻訳には粘り強さが必要だと考えます。英和辞典の語義がしっくりこなければ英英辞典に当たる、ネットや書籍で自分が翻訳するコンテンツの背景情報を調べる、選んだ訳語が日本語として適切か、国語辞典で確認する。短納期の仕事ではここまで手をかけられないかもしれませんが、コンテストに応募するのですから、普段より、もうひと手間暇かけた訳文を見せてください。
来年もみなさんからのご応募をお待ちしております。