藤村聖志審査員

  新人翻訳者の皆様、今年も皆様の力作を講評できることができてうれしく思います。今回は化石のオークションにまつわる話ですが、皆さんしっかりと背景調査されているようですね。本記事のメインテーマは、化石という重要な古生物学資料がオークションで売買されている現実を踏まえて、化石の科学的利用の重要性を訴えることにあります。この論旨に関しては皆さんよく理解されており、大きく論理破綻した訳は見当たりませんでした。原文は、込み入った表現を排した比較的簡潔な文体で書かれているので、訳文もそれに合わせて、簡潔で素直な和文表現をすることが望まれます。この点において、J53の訳文は良く推敲された完成度の高いものとなっており、これを一位とさせていただきました。これに反し、二位にしたJ85の訳文には、文意を伝えるために、時に補足的な訳や原文から離れた表現を採用している部分が見受けられます。こういう翻訳姿勢も時には必要ですが、将来実際に翻訳業務を行う場面では注意が必要です。私の経験上、翻訳者の過剰サービスに敏感に反応するクライアントさんも多く、その場合、やむなく原文から離れた表現を取った理由を説明できることが必須条件です。では、各訳文の講評に移りたいと思います。

J53
  J53さんは、全体的に力みがないというか、淡々と分かり易い言葉を使って、簡潔に訳文を構成されていますね。原文の語順を大幅に変えることもなく、著者の思考の流れを素直にたどることができる訳文になっているのが素晴らしいと思います。唯一第6段落のみ、Paleontological research is only scientific…を訳文の一番後に持ってきて、「こうした条件が備わって初めて」という補足をしていますが、これは、,so that..以下を結果の構文として扱うためにこの形になったと思われます。ここは、onlyを生かしてうまく訳しているので、これで良いと思います。タイトルにfor millionsが反映されてませんが、auctioned for millionsを「競売で落札」という表現に含めたものと思われますので、問題ないでしょう。あえて言うとすれば第13段落の「塗り絵のような簡易キットが・・名画の代わりになる」の部分で、ここは、「名画の代わりになる」のはあくまでも「塗り絵キット」で描いた絵であって「簡易キット」ではないので、「・・簡易キットで描いた絵が・・名画の代わりになる」とした方が良いでしょう。また、実際のpaint-by-number kitsの使われ方を考慮すれば、「塗り絵のような簡易キット」などといわなくとも「塗り絵キット」の方が読者にはイメージしやすいのでは?

  一つだけ言い忘れたことがあります。第1段落のUS$40.5 million をわざわざ4460万ドルに直してますね。これについては、4050万ドルはオークションで決定した値段、いわゆるハンマープライスであって、4460万ドルは、オークション会社に支払う手数料込みの価格であることが判明しました。従って4050万ドルは誤植でもなんでもなく、訳者が改変してはならない数字ということになります。基本的に、たとえ誤植であったとしても、こういう数値は訳者が書き換えるものではありません。特に特許文書等の実務文書では、数値の改変は大問題になりますので気を付けてください。記事の背景を調査して最終価格4460万ドルを記載されたと思いますが、実際の翻訳現場では、原文の数値を書き換えるのは避けた方が無難です。明らかに意味不明でどうしても書き換えなければならない場合は、必ずコメントを付けて納品先に報告する義務があることを覚えておいてください。

J85
  翻訳者スタイルにタイプがあるとすれば、J85はJ53とは反対のタイプだと思います。和文の表現が豊かで、時には一歩踏み込んだ表現を取って原文の意味をしっかり伝えようとしています。それは良いことなのですが、直訳を避けようとするあまり、説明調になったり原文から逸脱したりする落とし穴もあることを忘れないようにしてください。例えば、第2段落の「我々4名の率直な意見として」ですが、この「4名」はいらないでしょう。原典記事に当たって調査し「4名」の古生物学者の意見として補足したようですが、原文にfour paleontologistsと書いていない限り、付け足す必要のない情報だと思います。「4名」を抜いて「我々の率直な意見として」としても何ら問題はないと思いますが・・。また、第7段落のThough it was a private sale…以下の部分を「オークションではなくプライベートセールの形をとり・・」としていますが、この「スー」は所有権争いの紆余曲折を経て最終的にオークションにかけられています。その背景事情はかなり複雑ですが、ともかく、オークションではなくプライベートセールの形をとり・・」と書いてしまうと、オークション会社が斡旋した個人間取引のような印象を与えてしまうので、原文とは少しずれが生じることになります。Though it was..と書いてあるのは、「もともと私的取引ではあったが・・」くらいの意味ではないかと推察されます。あるいはそこら辺の事情を分かっていてこう書いているのかもしれませんが、スマートな訳文ではあるものの、誤解を招く表現であることを自覚してください。もうひとつ、Perpetual accessの訳「カギは永続的アクセス」ですが、「カギ」は必要ですか?Perpetual access is the keyならそれでOKですが、Perpetual accessとあっさり言っているのだから、「永続的アクセス」で十分で、それがあまりに抽象的響きがして不安なら、「永続的利用性」、さらにくだいていえば、「いつでも利用できること」ですよね。Accessは確かに訳しにくい言葉ですが、何かを付け足したからといって分かり易くなるものでもありません。

  「どれほど見栄えのある化石であろうとも・・・所有者の気まぐれで消失してしまうリスクがつきまとう」等、上手な訳が多いのですが、完成した訳文をもう一度見直して、やりすぎた部分がないかチェックすることをお勧めします。訳者が親切に説明しても著者の意図とかけ離れた結果をもたらす場合も多いことを肝に銘じてください。

J55
  J55さんは、全体的に無理なく素直に訳せていると思います。大きな減点対象となったのは、「透明性(出所や処理過程の明確さ)」、プライベートセール(特定の個人・団体間での直接取引)」、「塗り絵キット(番号通り塗れば完成する)」等の、(  )に入れた余計な説明です。確かに読者に分かり易い訳を提供するのが翻訳者の仕事ですが、こういった説明文を追加するのはどうかと思います。これらの説明がなくとも文意は十分通じるし、うがった見方をすれば、読者の理解力を信用していない、あるいは、訳文の不足を説明で補っているとみて取れないこともありません。よほどの必要性がない限り、こういう補足は行わないことが賢明かと思います。他には、第3段落でextinctionの訳が抜けているのと、第11段落の「・・ポップカルチャーを・・・姿勢に通じる」は、as if pop culture …for real scienceの訳としては少し無理があると思います。「あたかもポップカルチャーが実際の科学の代わりであるかのように」は、著者の抗議が感じられる部分ですからそのまま素直に訳してほしかったです。全体としては良く訳せているのですから、訳文の範囲内で著者の意図を反映する原則を守ってください。

J11
  J11さんは、原文を十分理解して全体的に無難にまとめたように見えるのですが、訳文をもう少し工夫して欲しかった気がします。まず、第4段落の「科学的に恒久的なアクセス」という表現は少し投げやりな感じがします。scientific accessibilityという句は訳しにくいかもしれませんが、この場合、「科学的に恒久的なアクセス」というよりも、j53のように、「科学研究のために将来にわたって利用できる」といった、具体的な表現が好ましいでしょう。「アクセス」と言ってしまうと何かのシステムにアクセスするような感じを与えてしまい、「化石をいつでも科学資料として利用できる」という趣旨がぼやけてしまうと思います。また、第8段落の「・・個人コレクションに消えることはなかった」、「・・すべての化石に対して本来あるべき姿である」は不完全な文であって、「・・個人コレクションとして消え去ることはなかった」、「・・すべての化石が本来たどるべき姿である」と書くべきでしょう。第10段落の「これに対して・・「スー」のように公的信託のもとで保管されている化石は、約20年間展示され続け・・・」の部分も問題があります。この書き方だと「公的信託のもとで保管されている化石は、約20年間展示され続け・・・研究されてきた」と読めるのですが、この部分は、Contrast that with fossils…, like Sue the T.rexとSue’s skeleton has been …studied again and againを切り離して訳する必要があります。ここのthatは先行段落の記述内容(個人所有物としての化石である限り分析・検証等は難しい)であって、これを「スー」のケース(公的に管理されている化石)と比べよう、とまず言ってから、スーの骨格標本は・・と話を進めていますね。つまり「公的信託のもとで保管されている化石は、約20年間展示され続け・・」とは少しずれがあります。あと、第12段落の「批評家」ですが、これはどちらかというと(倫理ガイドラインに対し)「批判的な人々」のことでしょう。J11さんは、全体的に大きな誤訳もなく大過なく訳せているのですが、表面的な訳で満足してしまっている気がします。もう少し訳文や訳語の可能性を模索しより良い表現を工夫することを勧めます。

J81
  J81さんは、うまく訳しているところもあるのですが、全体的に出来上がった訳文の推敲が足らないような気がします。まず、タイトルの「個人収集家に数百万ドルで競売される・・」ですが、ここのmillionsは、後出のmillions of yearsと同じく、「数百万」ではなく「非常に大きな数値」、つまり「非常な高額」を指していると思われます。第1段落で「4050万米ドル」、「3050万米ドル」という数値に言及しているのですから、「数百万ドルで競売」は少しおかしいと気付くべきですよね。続いて、第1段落の「若いケラトサウルスが・・落札された・・」も、少し不自然とは思いませんか?「ケラトサウルスの幼体化石」と言うべきで、「若いケラトサウルス」とか言ってしまうと、まるで生きのよい恐竜を売り買いしているようにも聞こえてしまいます。第4段落の「サイを高額入札者に向けて競売にかける」も、…auctioned off to the highest bidderの訳としては少しずれがあり、これは「オークションで最高値をつけた者に売り渡す」意味ですから、「高額入札者に向けて競売にかける」という言い方はまずいですよね。また、ここのrhinos は文脈上あきらかにendangered white rhinocerosを指していると思われるので、「シロサイをオークションで最高値をつけた者に売り渡す」というように、曖昧さを排除した表現にする必要があると思います。次の第5段落の「数百万年にわたる生命」は、まるで数百万年生き続ける生物がいるように聞こえるので、「数百万年にわたる生命の歩み」とか「数百万年にわたる生命の営み」とするべきでしょう。ちなみに、ここのstudying life through millions of yearsの訳としては、J85の「太古の昔に存在した生命を研究する」が一番良いと思います。恐竜の化石のことを考えれば「数百万年にわたる生命の歩み」は短すぎますよね。最後に、下から二番目の段落でbreathe new life into ancient bonesに「古代の骨に日の目をもたらす」という訳を当てていますが、これも少し意味がずれていると思います。「日の目をもたらす」は、to be revealed to the worldのように、埋もれていたものが世間の目に知れるようになる、くすぶっていた計画等が実現する、といった意味合いですが、breathe new lifeといっているのですから、素直に「新たな命を吹き込む」とするか、または、思い切って「現代に蘇らせる」等としても良いと思います。とにかく、化石から古代の生命の姿を再現するのが古生物学のロマンですから、その文脈でこの部分を解釈するべきでしょう。少し苦言が多くなりましたが、決定的な誤訳はありませんので、読める訳文にはなっています。特に第7段落あたりは比較的うまく訳せていると思います。もう少ししっかり推敲すれば断然良い訳文になるでしょう。

  ファイナリストの皆さんご苦労様でした。全体的に大きな誤訳が見当たらず、それぞれ訳文としては一定のレベルに達していると感じました。今はAIの手を借りてそれなりの訳文をさっさと作れる時代になってしまいましたが、それはそれで現実として受け止めて、より付加価値のある翻訳作業を目指さなければなりません。これからはポストエディティングの仕事がますます増えることが予想され、翻訳者としては厳しい時代になりそうです。私はもう何十年もこの仕事をしてきたので今更鞍替えする気もありませんが、通訳の仕事も含めて、新しい可能性を模索している段階です。でも、やはり翻訳が好きなので、来年も多くのコンテスト応募者の作品を拝見できることを期待しています。今回入賞を逃された方、来年また待ってます!